北軽井沢 虹の街 爽やかな風

「最後は緑豊かな自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻に従う形で移住生活を始めた場所は、活火山浅間山北麓に位置する標高1100mを超える厳寒の地。 北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場で働きながら最後の人生を謳歌している。一人の老人が経験する出来事をそのまま書き記していきたい。

2009年03月

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先日、東京電力から電話があり、敷地内のカラマツの枝が電線に接触しているので切らせてほしいと言ってきた。東京電力で伐採してくれるならこちらとしては異論のあるはずはない。わが家の周りには、カラマツとナラの木が圧倒的に多い。しかもかなりの大木が、ニョキニョキと生えている。

カラマツは、ヨーロッパ・シベリア・ヒマラヤ・北アメリカ北部など北半球の亜寒帯と中緯度の高山に広く分布する落葉針葉樹で、日本の高原を代表する植物でもあり、長野県や群馬県、北海道などに多く植えられている。
成長が早いことから、木材利用のため寒冷地での植林樹種として利用された。
長野オリンピックのスピードスケート会場となったエムウエーブは長野県産カラマツの集成材で建造されている。

家の周りのカラマツも秋には見事な紅葉(黄葉)を楽しませてくれたが、軽井沢やこの近辺では、このカラマツの黄金色は圧巻だった。そして風に吹かれての落葉は、思わずリーフシャワーと叫び感激した。カラマツは成長が早く、1年に20~30センチも伸びるらしいが、空に向けて一直線といった感じで、真っ直ぐに伸びていく。
近くの太い木の幹の周囲を計測してみると、2m20僂發△蟠辰い拭この木は高さがいくらあるだろうか?30m・・・あるいは40m近くあるかもしれない。

カラマツは、成長していく段階で、枝をどんどん落としていくようだ。枯れた枝が大きいのになると5mくらいの枝もある。そこいら中に落ちているが、途中で他の枝に引っかかっているものもある。風が吹いて落ちるか、その枝が落ちるときに一緒に落ちるか、いずれは落下してくるので注意しないといけない。
枝は、やはり太陽の光を求めて伸びるのだろう、日の当たらない反対側には枝は少ない。
密集している場所でも、とにかく上へ上へと伸びている。そして地面に近い枝から落ちていくらしく、下の方はほとんど枝がないのが特徴だ。

暖炉を燃やすとき、この枯れ枝が役に立つ。30センチの長さに切断し、炊き始めのときに使ったり、火が消えかかったときなどに使用する。枯れ枝なのですぐに着火し、とても便利だ。今日も近くで50本ほどの枯れ枝を集めた。
太い松の幹をよく見ると、木の皮の突起している部分が厚く、細長い。このあたりは湿気が多いため苔の生えているものもある。葉を落とした木を裸木というが、緑の葉をいっぱいにつけている時期に比べて、やはり一抹の寂しさを感じる。しかし、よく考えてみると、ここに住む限り、この裸木との付き合いが一番長い。青い空の上へ上へと伸びる密集した裸木たちの姿もあと一月。5月になると少しずつ若葉が見えてくるだろう。

最近では、雪が降っては溶け、降っては溶ける繰り返し。温度が低い日は、まだ氷柱ができる。1月に一度経験したのだが、プロパンガスの調整期に雪解けの水がかかり、それが凍結して氷になると調整期が冷えてしまいガスがつかなくなる。プロパンガスの上に何らかの方法で小さな屋根を作ろうと考えているが、昨日、またガスが出なくなったので、妻は洗面器を屋根の代わりに取り付け、見てくれというので行ってみた。
これは、知らない人が見ると何のおまじないかと思うに違いない。
思わず大笑いの一幕だったが、何とかしなければと思えば、いろいろと知恵が出てくるものだ。
ついに3月も今日で終わりとなった。

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産経新聞の一面上部に「朝の詩」が毎日載っている。

スーパーで

40年前と
そのほほえみは
変わらなかった
「しばらく」と
会釈しただけの
一瞬の再会
「おばあちゃん
あれ買って」
幼子に手を引かれて
去っていく あの人
「あなた帰りますよ」
買い物袋を渡され
私も 妻と外に出る


冬将軍のいたずらで、ここのところ氷点下の朝となっている。
しかし今日も天気は晴。2、3日前から、いつもの小鳥たちの中に新顔が一羽お出ましになった。何度か姿は見たがやっと餌台に来るようになった。
シメという名でシジュウガラたちよりも一回り大きな鳥。シメが餌台にいると他の小鳥たちは寄りつかない。シジュウガラたちは、餌を咥えて飛び立ち近くの木でカラを上手にとって食べるが、シメは、餌台でそのままムシャムシャと食べるので、餌台にヒマワリの種のカラがたくさん残る。

シジュウカラたちは近くのもみの木の枝で食べることが多く、雪解けのその下はやはりヒマワリの種のカラが散らかっている。僕は別に気にならないが、妻はたびたびほうきを持って掃除に行っているようだ。
シメはとても用心深く、カメラを向けると飛び去ってしまう。部屋の中から窓越しに一枚撮れたが、部屋の中からでもカメラを向けると察知して逃げていく。

日曜日の今日は買い物の日。いつもの六里ヶ原で浅間山を撮影したが、小浅間の上で雲がはっきりとXを描いているのが見える。いつものことだが、こちらでは雲がとても美しい。
気温が低く肌寒いが風はなく、かなり多めの浅間山の噴煙は、モクモクとほとんど真上に上がっていた。

家のすぐそばから、浅間山の噴煙が木々の間から見ることが出来るが、木の枝に新緑の葉が芽吹いてくると見ることが出来なくなる。昨年、ここに来たときは、当然見えなかったのでここから浅間山が見えることは分からなかった。
来週の水曜日くらいまで寒い日が続くと言っている。しかし3月もあと2日となった。
東京の上野公園には、桜を求めて16万人の人出があったと伝えているが、このあたりで桜が満開になるのはおそらく5月になるだろう。
しかし、1ヶ月遅れの春は、確実に一歩一歩近づいている。

4月になれば新学期、先日、東京にいる孫娘は、今度4年生になるといって元気な声を聞かせてくれた。
栃木県の柴田トヨさん(97歳)の詩「くじけないで」が産経新聞の「朝の詩」に掲載され、66歳のシャンソン歌手、久保田東亜子さんが作曲して歌い、ヒットしているという明るい話を聞いた。
人それぞれの春がある。希望に満ちた明るい春になることを祈る。

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「職業安定所」なんて今はもうない。「ハローワーク」という素敵な?名前に変わったのはいつの頃だろう。ここは日本なのに、こういうカタカナの名前がついたところが多い。
「職業安定所」で良かったのではないか?しかし、「職業安定所」というのもよく考えてみると、職業が安定する所?というのもどうかと思うが・・・・。

先日、村役場へ行くと一枚のチラシが目についた。見ると求人のチラシである。中之条のハローワークが発信元だった。職を探してみると、やはり65歳というとなかなかその働き場所はないものだ。特に65歳男性は、難しい。
チラシの一番最後に、勤務地は嬬恋村というのがあり、これなら出来るかな?と思ったので電話をしてみた。チラシをよく見ると、ハローワークの紹介が必要とあったが、直接連絡をしてみたら、担当者が留守であとで連絡すると言うことだった。

担当者から連絡が入り、話しているうちに、何か話が具体的になってきたので「65歳を先に言っておかないと」と考え、そのことを伝えると、とたんに「え~、65歳ですか?」と少々トーンダウン。結局、履歴書と写真を送ることになった。
写真を受け取った相手は、早速連絡をくれて面接と言うことになった。
採用担当者だとばかり思っていたら、面接者は社長だった。電話連絡をしてくれたのも社長だったのだ。どうせ駄目だろうが来週あたりに返事があるだろう。

いつも買い物と日曜礼拝に一緒に行くようになったSさん、犬を連れて散歩しているので最初は「犬のおばさん」だったが、彼女は大の花好きで、ターシャテューダーのような生き方をしたいと庭にたくさんの花を作り、家の中でも鉢植えで蘭などを育てている。
この辺では「花のおばちゃん」で有名なので、我々も「花のおばちゃん」と呼ぶことにした。その花のおばちゃんSさんが、友達が房総半島に花を見に行ってたくさんいただいたからお裾分け、といって持ってきてくれた花が、台所や玄関ホール、出窓などに飾られた。
冬になって、自然の花がなく、久しぶりに花を見た。名前は分からないが花があるだけでパッと明るくなり、とても爽快な気分になるものだと感じるようになっている自分に驚いたりしている。

静かな夕暮れをじっと見ていると、太陽の陽が沈んでいくと青い空は薄いグレイに変わり、低い位置をぐるりと取り巻いていた雲は少しずつ薄いオレンジ色に変化していく。
目の前には、葉を落とした黒い木々の幹が立ちふさがっているが、その間から見える色の変化していく空と雲は、あたりが暗くなるにつれ一抹の寂しさを誘う。
昨日も今日も気温は2℃までしか上がらず、寒い日が続いている。

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嬬恋村では、高齢者温泉入浴事業というのがあって、65歳以上になると村にある温泉を150円で利用できる。50枚綴りの利用券を7,500円で購入するのだが、昨年までは、これが2冊までしか買えなかった。つまり、1年に最高100回しか利用できなかったが、今年から3冊までとなり、150回利用できるようになった。
施設は万座温泉が、万座プリンスホテルなど6カ所、鹿沢温泉が2カ所、新鹿沢温泉が3カ所、バラギ高原の湖畔の湯、そしてこの近くのホテルの温泉など6カ所、合計16の施設を利用できる。

僕の自宅から近いのは、このプリンスランド内にあるホテルグリーンプラザ軽井沢にある「浅間の湯」とホテル軽井沢1130にある「鬼押温泉」。西と東で反対方向だが距離はほとんど変わらない。どちらも徒歩で20~25分で行くことが出来る。ホテルグリーンプラザの「浅間の湯」もとても良いが、ここは一般客にすべて新しいタオルをくれるのだが、この村の利用券で入る場合はタオルをもらえないので持参しなければならない。
その点、1130の「鬼押温泉」はタオルを自由に使えるのがよい。

手ぶらでぶらりと県道235号をゆっくりと歩く。この沿線にはレストランや喫茶店があり、シーズンにはかなり賑わっているようだ。和の店や中華の店もあるが、フレンチを食べさせる洒落た店もある。気楽に入れそうな喫茶店もあるのでかなり便利だ。
避暑に来た人達は、こうした店で食事を楽しむのだろうが、僕たちは毎日の食事は、新鮮な食材を買い求め自分たちで考えたバランスのとれた栄養をとるよう心がけているので、めったに外食はしない。外食が少ないほど経済的でスローライフな生活といえる。

この道は、軽井沢方面へ行く国道146号と、上田方面へ行く国道144号に接続していて、このあたりではかなり重要な道路だが、シーズンオフは交通量も少なく歩くのに何の支障もない。片道25分、両サイドには楢の木が続き秋の紅葉は見事だった。

鬼押温泉は12時から2時までは清掃のためお休み。僕はいつも2時に行くことにしている。
きれいに清掃された後の一番風呂にほぼ貸し切り状態で入ることが出来る。
脱衣場から浴室内に入るとずらっと洗い場が並び、その奥が大浴場になっているが、その中を通りドアを開けて外に出ると露天風呂になっている。この鬼押温泉は茶色の色をした濁り湯で、いかにも火山岩と思える岩の間から熱い湯が押し出されるように湯船に注がれていて、時折吹く風に大きく揺れている。後で外を見てみるとこの岩の向こう側は池になっていてだれも覗けない設計になっている。竹の垣がありその向こう側が女湯だ。

歌でも一曲唄いたいような至福のひととき。露天風呂は雨でも雪でも晴天の時でも、それぞれ違った風情を楽しむことが出来る。ここで注意書きを読んで知ったのだが、温泉から出るときはシャワーなどを浴びて温泉の成分を洗い流す事をしないで、そのまま出る方がいいらしい。いつも一番風呂なので今日から洗い流さずに出ることにした。
往復50分のウオーキングつきの露天風呂。帰宅して30分のストレッチ。
妻の作る料理を美味しくいただきながらの暖炉奉行。これではとても病気などになるはずがない。お金いらずのゆったりしたスローライフは素晴らしい。

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先日、思わぬ贈り物が届いた。こちらに来て知り合ったA氏から届けられたものは、なんとフランスパン。彼は写真家であり作家。
パリにあるパン屋さんを写真入りで紹介した本があるが、彼はその本の写真を担当し、著者とともにパリにあるたくさんのパン屋さんを訪れている。それだけでもパンに対する知識や考え方などはとうてい僕などの比ではないのだが、彼は、自分でも何冊かの本を出している。
その中に南フランスのホテルを紹介したもので、コートダジュール編とプロバンス編の二冊になった本があるが、南仏のプチホテルを彼独特の軽快なタッチと自分の失敗談なども含めながら紹介しているとても楽しい本だ。彼と知り合ってとても興味が湧き、この本は早速読んだが、以来僕の書くブログに大きな影響を与えるようになった。

実は最近、文章を書くということにおいて、スランプに陥っている感じがしてならない。
初めは、あたりかまわず怖いものなし、といったあんばいでどんどん書いていたが、ブログとして公開している以上、少なからず他人様の目に触れるものだから、あまり無様な文章は書けないぞ、と思ったとたんプレッシャーを感じたのかもしれない。
そんな時、A氏の本をパラパラとめくり読むことが多くなった。彼は建物やその周りの情景、室内のインテリアから食べ物の紹介を実に上手く表現しているのに驚く。
そして、「こういう言い方もあるな」とか、「これを先に言っておくのか」など、参考になることが多い。書くためには、多く読めというが、なるほどと思う。

彼が送ってくれたパンは「関口フランスパン」だった。
以下の文は、日本のフランスパンの歴史は関口フランスパンの歴史 という説明文。

明治6年キリスト教の解禁後、近代日本が迎えた初のローマ法王の使者、オズーフ司教が神父のペトロ・レイ師と共に明治20年頃、山の手の関口町へ赴きました。

ペトロ・レイ師は、教会経営の孤児院の子供たちに何か文化的な職業を身につけさせようと考えた結果、パンの製造を思いつき、子供たちの中から長尾鉀二(後の関口フランスパン職工長)を選び仏印に送り出し本格的にフランスパンの製法を、勉強させました。

そして彼の帰国後、教会敷地内に製パン工場を建て関口フランスパンは、明治21年(1888年)4月小石川関口教会(現関口教会)付属、聖母仏語学校製パン部として創業しました。日本における本格派フランスパンの誕生といえましょう。

その後、大正3年(1914年)第一次世界大戦がはじまりフランス本国から、孤児院に対する援助金が途絶え、パンの製造も出来なくなってしまったため、教会の信者であった初代社長高世啓三が、工場経営の一切を引き継ぎ関口町に新工場を建設し関口フランスパンとして発足しました。

そして各国大使館、在留外国人、一般家庭に広い需要を持つことになり、明治、大正時代の江戸っ子にフランスパンの名家として評判を呼び青春時代をフランス留学生として過ごした西園寺公望公爵も、生涯変わることなき関口フランスパンのファンでした。

関口フランスパンの歴史は、日本のフランスパンの歴史。その誇りを大切にしこの地に生まれた関口フランスパンがこの地にしっかりと根を下ろし、これからも多くの方々に愛されつづけていける店になれるよう、いっそうの努力をいたす所存でございます。

ということで関口フランスパンのコマーシャルになったが、おかげで日本におけるフランスパンの歴史を知ることとなった。フランスパンは世界中のパンの中で最もおいしいパンだといわれているが、油脂類を含まず時間をかけて焼き上げるので、消化の良い健康的なパンだと言える。A氏から連絡があり、初めて彼の山荘を訪問したときも、ワインとパンの持て成しを受けた。

妻はパンが大好物で大喜びだった。軽井沢、北軽井沢には、美味しいパン屋さんがあり、とても便利に利用している。そして、いつも行くスーパーマーケットツルヤも独自のパンを焼いて販売しているので、普段食べる食パンや、クルミの入ったパンなど、とても安く美味しいものが手に入り楽しみの一つとなっている。

昨夜からの雪で、また白い景色となったが朝から青空が出て、寒いのもかまわず思わず外に出てしまう。キツネの足跡を追いかけてぐるりと一周したが、手袋を忘れたのでとても冷たく、急いで帰宅した。今夜も雪の予報が出ている。今週は薪が大分消費されそうだ。

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