北軽井沢 虹の街 爽やかな風

「最後は緑豊かな自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻に従う形で移住生活を始めた場所は、活火山浅間山北麓に位置する標高1100mを超える厳寒の地。 北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場で働きながら最後の人生を謳歌している。一人の老人が経験する出来事をそのまま書き記していきたい。

2010年09月

イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
イメージ 6
 
イメージ 7
 
イメージ 8
 
イメージ 9
 
去る7月18日ギラギラと光る太陽に向かって元気よく出発して、ついに今日75日が経過した。長かったかと言えばそうだとも言えるし、短かったかと言えばそうかもしれない。「野菜のおじさん」は数々の経験を積み、たくさんの人々と出会い、素晴らしい体験をしたことは確かだ。
終了2日前、気がゆるんだせいもあって、荷物を持ち上げた瞬間、腰がピリッと痛んだ。しかし何とかしのいで今日の最終日を無事迎えることが出来た。
感無量という言葉が一番相応しいように思う。しばらくお休みしていたブログのアップを再開したい。ネタが多すぎて何から書こうかと迷っている。
野菜直売店には、たくさんのブログフレンドやプリンスランドの友達、その他オーナーズクラブのメンバー、ご近所の別荘の方々などたくさんの人たちにご来店いただき買い物をしていただいたこと、心より感謝しています。
心温まる応援の数々、どれほど励みになったことか。
人の心の温かさを身にしみて感じました。心よりお礼申し上げます。
少しずつ思い出しながら、エピソードの数々を書き綴ってみたいと思います。
今日はひとまず無事元気に75日を迎えた報告をさせていただきます。
 

イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
イメージ 6
 
イメージ 7
 
イメージ 8
 
イメージ 9
 
野菜直販店を開店し53日目となった今日は、朝から雨が本降りとなった。
不思議なことだが53日間、朝から雨という日は一日もなかったのだ、ということを改めて知った。いろいろと思案していると電話が鳴り、今日は思いがけない休日となった。もともと今日は週に一度の買い物日で、荷物の運搬だけの仕事だったが、雨の中どのような方法で商品を降ろすか、最後の撤収はどうするかと悩んでいたが、休日となればそんな悩みも吹っ飛んでしまう。
すでに熱帯低気圧となった台風にお礼を言いたいような思いがけない休息日、買い物を済ませた午後、温泉に入りゆっくりと体のケアが出来た。
 
もともとは自給○○円のアルバイトのつもりだったこの野菜の店だが、開店し営業が始まると、どうやったらより多く売れるか、どのように客と接するか、などと営業マン精神がむくむくと頭を持ち上げてくる。そしてどんどんとのめり込んでいく自分を感じるようになっていく。
75日間休みなし、ということは最初から分かっていたし、そんなことは全然問題にしていなかった。昭和30年代後半から40年代にかけて、日本全国働く人々には休日はなかった。月に二度日曜日の休みがあったが、その他の日は残業残業の連続で、今から考えると本当によく働いたと感心せざるを得ない。
 
小さいながらも事業をしていると、日曜祭日など関係なく盆と正月以外は休みなどは考えられないというのが普通だと思っていたので、75日無休には何の抵抗もなかった。早朝5時に起床、清々しい朝の空気を吸って素晴らしい景色のなかを走る軽トラックで見る景色は素晴らしく、毎朝が感動の連続だった。
しかし、どんどんと仕事にのめり込んで行くにつれ、最近になってその景色に変化が生じている。目が悪くなったわけではないがその景色が見えなくなってきていることに気がついた。
 
「そうか!」・・・・「そういうことだったのか!」・・・・・65年間という決して短くない期間を広島で過ごしたが、広島周辺にも素晴らしい場所はある。そして美しい景色もたくさんあった。盲目でないかぎりその景色は見えていたに違いないのだが、この地に移り住んだとき、初めて自然の美しさに感動した。それは「見える」と同時に「感じた」からにほかならない。
安芸の宮島で見た紅葉谷の紅葉は、今もう一度見てみたい景色の一つだが、残念ながらその時に見た美しさは空しいものだった、ということが今わかった。
 
「見える」とは「感じる」ことだということが今はっきりとわかった。
同じ景色を見ていても心そこにあらずでは、その景色は見えていない。頭の中に「仕事」が入っていては見えていても感じることができない。人は笑いながら怒ることが出来ないように、他のことを考えながら美しい景色に感動することができないと言うことに気づいた。そのことがはっきりとこの度の経験でわかったとき、改めてこの地を終の棲家と定めたことが、自分の人生にとってどれだけ大きな出来事だったのかを知ることになる。
 
野菜直売店の仕事も残り22日。道行く人々や旅行中の人々との交流の中で、新しい発見があり、様々な人間関係を経験した。
「おじさん、今日帰ります。いろいろとありがとう」と行って避暑地を後にする人々が増えている。今日も一人、そしてまた一人、店の前を通る人はどんどん減っている。「おじさん、いくら?」と値段を聞く客に「あと300円で100円」などと冗談を言いながら300円余分に買ってくれた客は少しずつ姿を消していく。「秋風が吹く」とは、昔の人は表現がうまい。
いずれにしても、この年齢で経験できたこの仕事は多くの宝物を残してくれた。
何もしなくても75日は過ぎる。時間は誰にも止めることは出来ない。
その「時」を大切にすることを別の観点から学ぶこと出来たことは大きい。
 
思いがけなくできた休日にブログを更新しながら思う。
75日が終わったら「よくやった!」と自分を誉めてやろう。
そして、ひょっとしたら、森の中で涙するかもしれないと・・・・。
 

野菜のおじさんも今日で52日を経過した。さまざまな経験をしながら残り1ヶ月を切り、ここまで大きな失敗もなく過ごしている。
店の前を通り過ぎるたくさんの人と縁を持ったが、昨年の5月に受け取った「心の窓」の「縁を生かす」を思い出したので、ここに紹介する。

その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
 ある時、少年の一年生からの記録が目に止まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。
間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
 
二年生になると、
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。
三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」。
後半の記録には
「母親が死亡希望を失い、悲しんでいる」とあり、
四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。
先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。
 
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」。
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」。
 
六年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」。
 
それから六年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」。
 
十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任してくださった先生です」。
 
そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。
(月刊「致知」2005年12月号鈴木秀子シスターの連載より)
 
人は誰でも無数の縁の中に生きている。無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。
 

↑このページのトップヘ