北軽井沢 虹の街 爽やかな風

「最後は緑豊かな自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻に従う形で移住生活を始めた場所は、活火山浅間山北麓に位置する標高1100mを超える厳寒の地。 北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場で働きながら最後の人生を謳歌している。一人の老人が経験する出来事をそのまま書き記していきたい。

2011年07月

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私はアルバイトの出勤日で留守をしていたが、帰宅すると妻の話が宇宙を遊泳し始める。こんなときは、楽しいことがあった証拠なのである。襲来とは、不意に攻めよせて来ることを意味するのであるが、いつも予期せぬときに突然現れるロクさんの訪問にピッタリの言葉である。
 
昨年の11月13日に開催された「ロクさんと共にいのち輝く仲間の集い」に参加したときのことを思い出す。6時という時間に生まれたので六次と名付けられたというロクさん。66歳で迎えた記念すべきこの会は、午後6時に終了するという。いかにもロクさんらしい演出であったが、そのロクさんとの出会いは3年前に溯る。このブログを書き始めて12番目の記事を紹介しよう。
 
08年8月2日
さわやかオーナーズコンサート
 
第5回目となる「さわやかオーナズコンサート」が開催されました。
この別荘地を管理する会社が5年前から開催しているこのコンサートに
初めて参加してみました。
内田ろくぢトリオの出演で、演奏と歌を聞きましたが、
歌声喫茶のような形で参加者全員が歌う楽しい会でした。
曲目も神田川、恋の街サッポロ、北の旅人、山のけむり、白いギター、昴、
霧の摩周湖など古い歌がほとんどで、ちゃんと参加者の年齢を考えた曲目でした。
妻にお尻を押され、ちゃっかり前に出て歌ったり、よい思い出が出来ました。
北軽井沢にまた今日も爽やかな風が吹いていきました。
 
たどたどしい文章でちょっと恥ずかしいが、懐かしい記事だ。この時私たちはこちらに来たばかりでほとんど誰も知らないという時期だったが、その翌年の記事は文章も長く、以前よりは文章らしくなっている。
 
09年7月25日
さわやか オーナーズ・コンサート
 
毎日のように悪天候が続いている。山口・広島で大雨による犠牲者が出たという不幸な情報もある。今朝も相変わらず雨が降っていたがほどなく止み、曇空のまま推移していた。
 
今日の午後は別荘地を管理するプリンスランド興産主催のさわやかオーナーズコンサートが開催される。会場はプリンスランド浅間湯本センターハウスの1階ラウンジ。空模様を眺めながら、歩いて5~6分の所だが車にしようかと話していたところ、家の前にHさんの車が止まった。横浜からこのコンサートに合わせて来荘され、お誘いのお迎えだった。
 
こんな事もあるのかと驚いたのは、会場に到着すると天気は一気に回復し、日差しがさしてきたのだ。第6回を迎えるこの催しは、ろくさんの愛称でおなじみの内田ろくぢトリオの演奏が中心の和気あいあいとした楽しい会で、今年は
クリスタル富沢のマジックショーもあるという。
 
昨年初めて参加したこのコンサートは、初参加なのに妻にお尻を押されて前へ出て唄ってしまった事を思い出すが、その時ろくさんと同じ歳だと分かり、とても親近感を持っていた。彼は癌を患い手術して今年で10年という。年齢を感じさせないマスクとほのかな哀愁の漂う歌声は素晴らしく、いつも観客を魅了している。
また彼はNHKウクレレ教室の先生ということで、今日はその生徒さんたち、美男美女?の出演もあった。
 
内田ろくぢトリオの演奏は、神田川、今は幸せかい、100万本のバラ、黄昏のビギン、ベッドでタバコを吸わないで、昴。どれもみな懐かしい歌で、心ゆったりと聞き惚れてしまった。
 
夫婦で競演の「クリスタル富沢」マジックショーも多才な芸で楽しませてくれ、とくにマジックではおなじみの鳩が出てきたりいなくなったり、いったいどうなっているのか分からない。これが分からないところがマジックなのに、ほとんどの人がムキになって仕掛けを見破ろうと目をこらしているところがまた楽しい。
 
ウクレレ教室の美男美女?の演奏がまた和やかでこんなに楽しく時を過ごせる人達は幸せに違いないと感じた。それに80歳を過ぎた女性がとても楽しそうにウクレレを演奏しながら唄っていたのがとても印象的だった。
 
最後の歌声集会は、配られていた「みんなで歌おう」にプリントされている歌を次々と全員で歌うのだが、僕も何度か前に出てマイクの前に立った。
こういう場所では、得てしてはにかむ人が多く前へ出る人が少ないが、こういう生のバンド演奏で歌うことはめったにないのだから、楽しんだ方がいいに決まっている。ろくさんの指示もあり、マイクの前で歌い思いっきり楽しい一時を過ごしたのだった。
 
最後の抽選会でろくさん作の竹で出来た花瓶などが配られた。Hさんは、じゃんけんに勝ち大きな製品を獲得し大喜び、コーラスをしているH夫人も前で歌い楽しかったと喜んでいた。
 
ろくさんと握手を交わし、来月14日のオーナーズ会での再開を約し外へ出ると、ポツポツと雨が降り始めた。コンサートの間中雨は降らずに待ってくれていたとしか思えないようなタイミングだった。
楽しかったというHさん、今度はいっぱいやりましょうと言った笑顔がこの上もなく幸せそうに見え、それは間違いなく僕たちにも伝染していった。
 
悪天候の続く今日この頃だが、さわやかコンサートがもたらした効用は大きく、ひとときの好天気の中で、文字通り爽やかな風は参加した人々の心を和ませ、優しく頬をかすめていったに違いない。
 
 
今日はいつものようにどっさりとお土産をいただいたが、ロクさんお手製の竹の一輪挿しに妻は、さっそく花を生けて壁に掛けた。自宅でとれたというブラックベリーは、大きな粒で自然豊かな味が口の中に広がり、めったに味わえない珍しさに喜びもひとしおであった。
今年の「さわやかコンサート」は8月6日(土)午後1時30分より開催される。昨年は「野菜のオジサン」の役割があり参加できなかったが、今年は開催日の情報を早く掴んでいたので休日がとれた。本日会えなかった内田六次夫人に会えるのも楽しみである。
参加費1000円でたっぷりと楽しめる「さわやかコンサート」は、今年もまた多くの人々に感動を与え、よき想い出を残してくれるに違いない。
 
 
 

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ここのところ曇り空が続き、時折いやな音を伴いながら降る雨は長い時間降るわけではないが、スッキリとした青空はない。そういえば今年の梅雨入りがやけに早かったことを思い出すが、それに比例して梅雨明けも早かった。最近の天気はまるで梅雨のようで、実は梅雨明けはしていなかったと勘違いするような天気が続く。各地で大雨による被害が拡大しているのは気になる出来事である。気象情報の知識はないが、気象庁に「実は梅雨はあけていなかった」と言ってもらいたい気持ちが湧いてくる。
 
スカッとした写真が撮れないと心も晴れないのであるが、アルバイトの帰路、駐車場に団体客を乗せてきたバスが2台停車して歌。そのボディに書かれたユニークな文字が目に入った。
「このバスは天ぷら油で走ってます」というその文字に、思わずニヤリと頬がゆるむ。
 
「天ぷら油で走る車」を調べていると、「レアリゼ」というインターネットで記事を発信しているマガジンを発見した。
 
その一部を紹介したい。
 
家庭や旅館から使用済みの油(廃食油)を回収し、精製してBDF(バイオディーゼル燃料)として販売し、車や農耕機械を動かす実践として、大町菜の花プロジェクトを紹介した。廃食油を回収してBDFにする方法は全国に広がっており、軽油の代替としてはかなり量不足だが、多少なりともその使用を減らすことはできる。

 ところで日本では、バイオディーゼル燃料で車を動かすために、もう一つの方法がある。BDF(バイオディーゼル燃料)は一般的には、動植物油から粘度の高いグリセリンを取り除いた脂肪酸メチルエステルを意味する。脂肪酸メチルエステルを精製するための装置は数百万円程度するので、地域から廃食油を回収して精製し、スタンド等で一般向けに販売する事業者が必要だ。

 これに対して、植物油をそのまま燃料として利用する方法もある。植物油を直接使うのはSVOStraight Vegetable Oil)、廃食油を使うのがWVOWaste Vegetable Oil)と呼ばれる。これなら脂肪酸メチルエステルを精製する高価な装置は不要で、資金のある事業者も要らない。個人にもできるのである。

 自分でご近所の天ぷら油を回収して濾過し、自分の車に入れて走る。そんな愉快な生活をしている人たちが、日本には結構いるのである。

天ぷら油で走る車

 そんな人たちの拠点のひとつが、信州は 安曇野市 穂高の別荘地にある、舎爐夢(シャロム)ヒュッテというペンションだ。シャロムヒュッテは、パーマカルチャーやスローフードに関心のある日本人には良く知られたペンションだ。山小屋の住人だった臼井健二さんが仲間と手作りで建てたペンションで、自給自足のエコロジ-な農的田舎暮らしを目指し、有機農法や自然農法の畑、パーマカルチャーガーデンなどの実践をしている。

 そのシャロムヒュッテで、宿泊客の送迎用に実際に使われているのが、天ぷら油(WVO)で動く車である。昨年宿泊した先に臼井さんに見せていただいたのが下の写真。フィルターと熱交換器をエンジン部分に取り付け、後部には軽油と天ぷら油の二つのタンクが積んである、とてもシンプルな構造で驚いた。長野県は寒いので、エンジンをかけるのに軽油を入れる必要があるそうだ。

 臼井さんを中心に、天ぷら油車に乗る人々の全国ネットワークが形成されていて、メーリングリストを利用して活発な議論を行っている。
 
 
レアリゼ・代表兼編集長の三沢健直氏はレアリゼについて次のように言っている。
 
レアリゼは、記事を掲載するだけのマガジンを目指していません。何かをしたい、しかし何が出来るのだろう?と考えている人たちと共に考え、共に学びながら、一つ一つの小さな何かを実現していきたいと考えています。
 
 
天ぷら油で走るバスを発見したおかげで、もう一つ勉強になる「レアリゼ」を発見した。人と人とはまったくいろんなところで結ばれている。新しい発見は「積極的な生き方」の中に生まれ、次から次へと新しい発見があるから過ごす毎日が楽しい。まったく、人生は素晴らしい。
 
 

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高気圧と高気圧がせめぎ合って大気の状態が不安定になるという。さっぱり分からないが、南から湿った空気が押し寄せているが、北からは寒気が流れ込んでいるらしい。天気だと思っていても急に暗くなり雷がなる。ざーっと雨を降らすことが多い。こんな状態はキャンパー泣かせである。夏休みになりキャンプ場を訪れる客は急増している。夏らしいからっと晴れた日が続くことを祈る毎日である。
 
私のパクリシリーズ・・・「人生の3歩」を紹介します。
 
今日、車を運転していたら、道を渡ろうとしていたおじさんが、私の車が来たのをみて、3歩引き返しました。
 
その時、助手席に乗っていた妻に、私は言いました。
 
「あのおじさんの人生の3歩ぶんを奪ってしまったかもしれない・・・」
 
「なんで?」
 
「僕の車が来て、3歩さがったために、人生の3歩ぶんバックさせてしまった。これからのおじさんは、3歩ぶん後ろの人生を歩いているから、どこかの道路をまた渡るとき、渡りきれなくて車にはねられるかもしれないよ・・・」
 
そういうと妻はこう言いました。
 
「お父さんの車がきて、3歩後ろに人生が下がったおかげで、ベランダから落ちてくる植木鉢に当たらなくてすむかもしれないよ」
 
はい、ここで結論。
人はとらえ方が違うということ。
そして、人はみなつながって生きているということ。
いつもだれかとつながっているんです。
 
 
「自分一人くらい居なくなったって、世界は変わらないよ」
なんて嘆いている人がいるかも知れませんが、実は、一人一人はとても大切な存在で、日本中の人に影響を与えているんですよ。
 
日本とハワイは海をへだてて陸地ではつながっていないようにみえて実は、海の水を全部汲み上げたら、地面でつながっている・・・。
 
人とのかかわりも、実はこういうことなんですね。
 
昔、あるテレビ番組で実験をやってました。
沖縄の幼稚園の子供と、北海道のおばあちゃんと何人の人を介したらつながるか?
 
答えはたった3人です。
 
幼稚園の子供の知り合いの知り合いが北海道の郵便屋さん。
その人とおばあちゃんがお友達。ほとんどの人がこれくらいの人数でつながってしまうそうです。
 
車を運転していた一瞬の出来事を、こんな長い文章にしてしまう私。
道を渡ろうとしていた見知らぬおじさんは、私の人生にしっかりと繋がっていました・・・。
 
 
 
もう一つ、人間万事塞翁が馬についてのパクリがありました。
 
 
人間万事塞翁が馬  (じんかんばんじさいおうがうま)
 
意味:幸福や不幸は予想のしようのない事の例え
 
 
中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。
さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。
 
ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。
この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。
ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。
 
「このことが幸福にならないとも限らないよ。」
 
そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。
そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。
 
「このことが災いにならないとも限らないよ。」
 
しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。
近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。
 
「このことが幸福にならないとも限らないよ。」
 
1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。
城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。
そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。
しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。
 
 
 この話は、中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」に書かれています。
 
「人間万事塞翁が馬」の「人間(じんかん)」とは日本で言う人間(にんげん)の事ではなく、世間(せけん)という意味です。
「塞翁」というのは、城塞に住んでいる「翁(おきな)=老人」という意味です。
 
「城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、福から禍(わざわい)へ、また禍(わざわい)から福へと人生に変化をもたらした。まったく禍福というのは予測できないものである。」
という事です。
 
 
悪天候にも動じることなく、それは自然現象と腹をくくっている人もいれば、意気消沈して泣き出しそうな顔をしている人もいる。人生は人の数ほどの種類があるに違いない。
誰の人生も一寸先は闇。日々何事も楽しむことが出来たなら、より充実した豊かな人生になるだろう。
 
 

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北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場のアルバイトを初めて5ヶ月目に入っている。
キャンプ場が一年のうちで最も忙しいのが夏休みである。先週末からその夏休みに入った。
北軽井沢スウィートグラスは、48のコテージ・キャビンを持ち、3万坪の敷地に150のテントを設営できるサイトがある。コテージやキャビンの施設は2~3日連続で宿泊するキャンパーもいるが、ほとんど毎日客は入れ替わる。その都度清掃され新しい客を迎えているが、キャンプ場は自然の中にあり、サイトを仕切る植樹もされているし、芝生も張られている。コテージ・キャビン、サイトを常にきれいな状態に保つことはたいへんな仕事である。
 
さて、アルバイトの仕事も、そのお掃除が中心であるが、その他にもいろいろな仕事がある。
その中の一つに牛乳の運搬がある。お客様から注文を受けた数の牛乳を牛乳屋さんまで引取に行く仕事なのだが、それは午後3時頃の仕事である。
 
キャンプ場から車で7~8分の所に松本牧場の経営する牛乳屋がある。浅間山の麓、自然豊かな嬬恋高原にある松本牧場の牛乳にはこだわりがある。昭和31年から酪農に取り組み、ただひたすらに健康な牛乳づくりに励んできた松本牧場は、有機牛乳にこだわり続けて15年、日本で初めて、本物の「無農薬・低温保持殺菌牛乳」を世に送り出したという。使用飼料に農薬や化学肥料、化学合成物質(殺虫剤、除草剤など)はまったく使われていないし、非遺伝子組み替えの飼料である。しかも低温保持殺菌なので栄養分もこわれず安心して美味しく飲むことができる。
 
 
この「牛乳屋」は、嬬恋高原・松本牧場の「無農薬・無化学肥料の牧草で育った牛のお乳」を扱う牧場直営のカフェになっていて、高原の別荘地にある小さいながらも落ち着いた雰囲気を持つログハウスでは、本物の牛乳の他、そのこだわりの牛乳を使ったチーズ・ヨーグルトなどの乳製品の販売も行っている。先日、妻とソフトクリームを食べたが、ほっぺたが3つくらい落ちてしまうほどの格別な味であった。
 
普段何気なく料理に使ったり飲んだりしている牛乳について、ほとんど何の知識も持っていないことに気づいたが、一般に販売されている牛乳のほとんどは、高温で短時間(130℃、2秒間)で殺菌されているらしい。それは、速いスピードで、効率的に殺菌出来るからだ。しかし、それは生乳本来の風味や栄養素を損なうことになる。低温殺菌でも品質が保持される為には、生乳の品質が優れており、かつ雑菌数が少ないことが条件だが、低温(65℃)でゆっくり(30分間)と殺菌すると、牛乳の栄養素はほとんどこわれず、生乳に近いので風味が良く濃くてもさらっとしたのどごしの牛乳になるという。
 
標高1100mを超える嬬恋高原では、美味しい高原野菜が収穫され、その恩恵をいただいているが、牧場直営のカフェで新鮮な安全・安心の乳製品が手に入るという二重の喜びを発見した。
北軽井沢スウィートグラスでのアルバイトの仕事はバラエティに富んでいる。そして、この嬬恋高原の生活では、新しい発見も多い。そうそう「牛乳屋」に行くとチャーミングで素敵な女性に会えることも書き加えておこう。
 
 

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19日に上行結腸がんから併発した肺炎のため死去した俳優、原田芳雄さん(享年71)の葬儀・告別式が22日、東京・青山葬儀所で営まれた。芸能関係者のほかファンも200人以上が献花に訪れた。映画のスクリーンを模した祭壇は6000本の白い花に包まれ、2009年に撮影した写真が遺影として飾られた。ブルース歌手としての活躍も称え、ギターやマイクスタンドが供えられた。

 弔辞を捧げたのはATG映画時代からの盟友、石橋蓮司(69)。映画でいつも原田さんと丁々発止やり合っていたアドリブ仕立ての弔辞が、参列者からいっそうの涙を誘っていた。弔辞は次の通り。

 原田芳雄に向かって自分が弔辞を言う、こんな馬鹿げた、悪ふざけはあるだろうか。弔辞という文字も正確に書けなかったし、弔辞とは、故人の業績をたたえ人に伝えるとあった。いま、芳雄の業績なんか称えたくないし人に伝えなくていい。ただただ、ただただ、おまえが今ここにいてくれればいい。おまえが今ここにいて「これは冗談だ」と言ってほしい。それが芳雄、俺たち仲間に対しての最大の業績だよ。

 ほらみろ。破たんしてしまったじゃないか。おまえが悪い。じゃあ、こうしよう。これは、映画の一場面として、アドリブで、何か、しゃべってみる。

 芳雄、おまえと一緒にやった映画、全部うまくいったな。そして、最新作「 大鹿村 騒動記」、あの2週間、おまえが病魔と闘いながら作品に挑む姿は感動的だったし、凄味さえ感じたよ。あの映画の原案が芳雄だと聞いて、台本を読んだとき、正直おれにはよく分からなかった。なぜ芳雄がそこにこだわるのか。なぜ、そこまでこだわるのか。よく理解できなかった。でも、完成試写を見たとき、なにか、心が震えるのを感じたよ。今も感じている。

 あの2カ月後、日本が未曾有の大災害に襲われ多くの村々が壊滅的打撃を受けてしまった。そして今、その各村々の方々は一緒に手を取り合って過酷な環境の中、苛烈な現実を乗り越えようと一生懸命、頑張っている。

 その力の源は何なのか、どうしてそうできるのか。この映画で、その源の一端をほんのささやかでも提示できたのではないだろうか。

 このように原田芳雄は直感力が鋭く動物的カンと言ってもいい。いつも、人の心の活断層のきしみをだれより早く聞き取り、そして予感し、具体的な作品に興して見事に具体化してみせたよな。

 芳雄、おまえの力と身体は、まだまだ今も映画界に必要だよ。おまえが、次回作、どんなことをやりたかったのか、どんな声を聞き分けていたのか、何を予感していたのか、これから家族の方々に教わって具体的な映画になれるよう、俺も含めて一生懸命頑張ってみるつもりだ。具体的になったらば、すぐに報告に行くから、それまで、すこし、ほんのちょっとだけ、休んでてくれ。

 また破たんしそうだからこれでやめる。芳雄、だらしなくてごめん。
 
 
父の葬儀の際、親族を代表して挨拶をした日のことを思い出すが、私はまだ弔辞を読んだことはない。随分と以前のことだが、「おまえの葬儀委員長は俺がやってやるから心配するな」と冗談を言ったことはあるが、現実に今、そのような相手はいない。
「人間は葬儀のとき、何人の人から“ありがとう”と言われるかでその人の人柄・品格が証明される」と話したある会社社長の言葉も浮かんできた。
 
人は皆、いつの日にか死を迎えその姿を消すことになる。弔辞を読む相手がいる人は、心の通い合った人物がいたという証に違いない。葬儀という悲しい儀式であっても、その中で人の心を打ち考えさせられることも多い。歳を重ねていくうちに、こんなことも考えるようになったが、移住生活で新しい人生を生きている中で、意気投合でき、心ときめく人に出会えている幸せを噛みしめている。
 
 

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