北軽井沢 虹の街 爽やかな風

「最後は緑豊かな自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻に従う形で移住生活を始めた場所は、活火山浅間山北麓に位置する標高1100mを超える厳寒の地。 北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場で働きながら最後の人生を謳歌している。一人の老人が経験する出来事をそのまま書き記していきたい。

2011年12月

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ついに大晦日。そして、ついに雪は降らなかった。地元の人たちも珍しいと言っている。
一度だけ6センチの積雪があったが、その後は雪らしい雪に出会っていない。しかし、連日気温が低く外気に触れている部分は、冷たくて「痛さ」を感じているが、先日、アルバイトの作業終了間際から指の先が冷たさでしびれるほどの痛さを経験した。すぐに湯の中に手を入れてしばらく回復するのを待った。これほどの痛さを経験したのは初めてだった。
 
今は亡き米原万里著「魔女の一ダース」の中に、次のような話しが記されている。
真冬のシベリアを2ヶ月かけて横断したことがある。うち1ヶ月を、北半球の寒極が所在するヤクート共和国で過ごした。滞在中の平均気温がマイナス50℃。
通常の感覚でいう寒さなんてものではない。痛くて痛くて皮膚などを表面に出していられない。眼のところだけをくり抜いた毛糸の袋を頭からすっぽりかぶり、その毛糸の皮膜に被われた顔面にマフラーをぐるぐる巻き付ける。その上に毛皮の耳隠し付きの帽子をかぶって、その上にオーバーのフードをかぶる。唯一外気に接している眼の表面の水分がまたたく間に凍って、瞬きする度にシャーベットができていく。
最低マイナス59℃を経験した翌日、気温がマイナス52℃になったとき、「ああ、温かいなあ」と取材陣一同異口同音につぶやいたものだ。
 
キャンプ場を訪れている人たちも「寒い」を連発しているが、子どもたちにとっては雪がないのが残念のようだ。マイナス50℃でも人間は生きていける。ここに来て、経験したことない気温のなかで暮らしているが、上には上があるものだ。人はどんなときにも「不平、不満」を言う前に、もっともっと上があることを考えねばならない。そうして、また一つ強くなれる。
 
あと20分あまりで2011年は終わる。私たちにとって今年は素晴らしい年であった。
たくさんの人たちに優しく接していただき感謝している。来年も又その優しさに包まれて幸せな毎日が続くことだろう。雄大な浅間高原の麓で、自然に守られながら過ごす幸せを噛みしめ、新しい年を迎える喜びは、なにものにも変えがたい。
関わり合いのあった方々に心よりお礼申し上げます。
 
 

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先日、嬬恋の嫁から一冊の本のプレゼントがあった。その佐野洋子著「神も仏もありませぬ」を読み始めたが、のっけから面白い文章に出会っている。著者は自分が63歳であることに驚き、まさか私が63?当たり前で何の不思議もないのに、どこかに、えっまさか嘘だよなあと思うのが不思議である・・・・と言っている。
 
人間だけでなく、この世に生きる生き物は皆、時間の経過と共に年を取る事になっている。そして、途方もなく長い時間を生きているのが人間だ。私も体力の低下を感じるようになってきたが、まさか68歳とは思っていない。えっ嘘だろうと思ってしまうから不思議である。子供の頃、早く二十歳になりたかった。そして二十歳になると、早く三十歳になりたかったし、30になると早く四十歳になりたかった。まだまだ若いね、と言われるのが嫌で50になればもうその言葉とはオサラバできるはずだったが、68歳も80歳の人から見ればまだ若いに違いないのだった。
 
そんな他愛もないことを考えながら、暖炉に燃える炎を見ていると、一本の薪に赤い炎がまとわりついて揺れている。「これは何の木だったか?」と考える。これが販売されていた薪であったらそんなことは考えない。数多くの木を切り斧を振り下ろして作った薪には想い出があり、それ故に炎を見る目も違う。薪と会話が出来るという得意技もできた。
 
自然の中で生きていくうちに、少しずつ自分が変わっていくのを感じているが、それは長い年月を生きてきた経験があるから、変化に従い変化を活かして楽しむことが出来ているからだと感じるようになっている。
 
「神も仏もありませぬ」・・・・今の私には「神も仏もいりませぬ」。
あと一日で新しい年を迎えるが、自信を持って来年は良い年になると思っている。
 

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4日もブログを更新していない。ちょうど4日前くらいに少し風邪の前触れを感じ、妹の勧めてくれた葛根湯を飲み、ついでにアルコールを少々つぎ込んで、さっさと寝床に入り込みぐっすりと睡眠を取るという繰り返しを続けていた。その間、仕事には出ていたが底冷えのする毎日だった。幸い大事には至らず元気に生きている。葛根湯とアルコールの威力を改めて感じている。
 
今朝の気温は、何とマイナス13℃。この冬最高の冷え込みだったが、そのため二つある洗面所の一つが凍結し、水が出なくなった。床下の配管には凍結防止ヒーターが取り付けられているが、室内配管には保温材が巻かれているだけなので、室内の部分が凍結したのだった。慌ててお湯をかけるやらドライヤーで温風を吹き付けて温めるやら大騒動。時間がないので水が出るのを確かめることなく出勤した。幸い昼前には水が出たという連絡で安堵したが、水道管の凍結は4年目にして初めてだった。
 
昨年は、配水管の凍結を経験し、後に配水管が地中で破損していることがわかり、水道屋さんに修理してもらったが、一時は洗濯も出来ないという苦難を経験している。厳寒の地で生活するといろいろなハプニングがあるものだ。しかし、それもまた生きていく上では良い頭の刺激剤に違いない。そんなこんなでぼける暇などないのである。
 
キャンプ場では今日も38組の来客があり、氷点下もなんのその、テントで宿泊するという信じられない光景を目の当たりにして連日驚いている。そして私たちの仕事がこの寒さの中でも次々にあるというわけだ。キャンプ場では大晦日の夜、イベントハウスで催しがあるが、その前の広場でキャンプファイヤーが用意される。燃え上がる炎の前で行く年来る年のカウントダウンが行われるらしい。明日は私たちがその準備をするが、満天の星が輝く夜空に炎が上がるのか、雪の降る中でのキャンプファイヤーになるのか、いずれにしても氷点下の中でのキャンプファイヤーは、訪れたキャンパーたちには、厳寒のキャンプ地での貴重な体験となるに違いない。
 
冬のキャンプを楽しむ客が多いため、今日から正月3日まで休みなく働くことになった。今までにない楽しい年末年始になりそうだ。昨日は、週に一度の買い物日。軽井沢のツルヤで身体の中から暖まる液体を買い込んだ。この液体と温泉という格好の体力維持装置があれば、どんな寒さも問題にはならないだろう。こういう挑戦はいくつになっても楽しいものだ。
 
 

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凍りつくような寒さの中、クリスマスをキャンプ場で過ごす人々が続々とチェックインしている。
昨日は、そんな中、勤務を終えて「恵みシャレー軽井沢」へと向かったが、午後4時半キャンプ場の駐車場にはAさんの車が待機してくれている。いつもの優しい笑顔に迎えられ助手席に座った。地元で育った彼は道を知り尽くしているが、先日話題にした水道凍結防止ヒーター用節電器「セーブ90」を知らなかったという不思議な人でもある。そして、彼から時折聞く思い出話は楽しい。道中、昔このあたりで死んでいたキツネを見つけ、まだ温かかったのでキツネの襟巻きにしたといいながら、首に巻いているキツネの毛を見せてくれた。
 
恵みシャレーでは、5年前から聖歌隊員を募集してシンギングクリスマスツリーという催しを行っている。昨年I君とM子さんが参加して楽しかったのでブログ記事で仲間に参加を呼びかけていた。高さ7m、巾9m、重さ10トンの設備に明かりがつき7つあるひな壇に並んで歌う当日の聖歌隊のメンバーは65名。大チャペルで行われた練習の時、その一番上の段に上がる2名に手を挙げた私とAさんが選ばれたが、これはちょっとした失敗であったということが後に判明する。なんとかの高上がりというが、暗い夜、カメラを向けても一番高いところまではフラッシュも届かない。見物に来ていたPさんにカメラを渡して撮影を依頼したが、一番上の私たちだけ写らないという結果になった。しかし、パソコンに取り込む際画像編集で、明度、彩度、コントラストを補正し、なんとかやっと自分の姿が確認できるほどになったが、本日の信濃毎日新聞に掲載された写真では、やはり一番上は誰か分からない。
 
歌う曲目は「あらののはてに(賛美歌106番)」「諸人こぞりて(賛美歌112番)」「きよしこのよる(賛美歌109番)」の3曲で、中でも「きよしこのよる」はあまりにも有名である。
原詞の「StilleNacht」は、ヨゼフ・モーゼによって、ドイツ語で書かれたが、世界中の300を超える言語に訳されたと言われる。おそらく、世界で一番訳詞された言語の多い歌のようだ。
この曲の英語曲が「Silent night」であり、日本語曲が「きよしこの夜」(作詞・由木康)である。
 
おりからの寒波到来で、シンギングツリーの上ではマイナス7度がこたえる。しかし、大声で歌う賛美歌は気持ちいい。9名の仲間と聖なる夜を楽しみ、その後P夫妻も加わった忘年会は今年最後の賑やかなイベントとなった。今年も残り一週間となり、休日は28日だけになった厳寒の年末は厳しいが、また思い出深い新年になることだろう。
 
 

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猛烈に寒い日が続くが、不思議なことに今年は雪が降らない。相変わらずキャンプ場のバイトを続けているが、年末年始にキャンプ場がこれほど忙しいとは想像していなかった。今年も残り少なくなっているが、年の瀬になっての休みがない。24日と28日以外は全て仕事となり、最後は正月三が日までの6連続出勤となった。この寒い冬に何で?と思うが、昨日訪れていたキャンパーとの会話で「冬のキャンプはスウィートグラスに決めている」と話していたが、このあたりではストーブやバストイレ付きの施設を持つスウィートグラスは、キャンパーには貴重な場所になっているらしい。
 
今日は冬至である。北半球では太陽の南中高度が最も低く、一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる。日本では、この日にゆず湯に入り、冬至がゆ(小豆がゆ)やカボチャを食べると風邪を引かないと言われている。しかし、1年で日の出の時刻が最も遅い日・日の入りの時刻が最も早い日と、冬至の日とは一致しない。日本では、日の出が最も遅い日は冬至の半月後頃であり、日の入りが最も早い日は冬至の半月前頃である。
 
明日は「恵シャレー軽井沢」で、私にとって今最も熱い仲間達とシンギングクリスマスツリー聖歌隊で歌うという何ともワクワクするような体験が待っている。聖歌隊に入れるかどうか分からないが、仲間に会える楽しみはなにものにも替えがたい。朝は、嬬恋の弟が仕事場のキャンプ場へ送ってくれる。そして勤務終了時間には、北軽井沢の親愛なる友が迎えにきてくれるという、万全の手はずが整っている。そして、シンギングクリスマスツリーの後には、忘年会が計画されている。もし聖歌隊の一員になれたなら、この歳になって夢のような体験になるだろう。
今夜は、クリスマスソングが演歌になってしまう夢を見るような予感がしてきた。
 
 

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