北軽井沢 虹の街 爽やかな風

「最後は緑豊かな自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻に従う形で移住生活を始めた場所は、活火山浅間山北麓に位置する標高1100mを超える厳寒の地。 北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場で働きながら最後の人生を謳歌している。一人の老人が経験する出来事をそのまま書き記していきたい。

2012年05月

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先日、キャンプ場の若いスタッフ達とスウィートグラスアドベンチャーで樹上冒険を楽しんだ。
浅間山、白根山、谷川岳を見渡せる美しい森・ルオムの森は、天明3年の浅間山大噴火でも生き残った歴史ある森。その森の大木に設置された樹上冒険設備は、元はフランスの社員教育のために発案されたもので、大人も子供も楽しめる新しい遊びであるが、遊びながら親子の絆を深められる。家族や友達同士で森の冒険を楽しみながら、ルールを守ったり、譲り合ったりすることで、豊かな人間性を養う。コースの上では常にハーネスという安全帯を着用し身体をセーフティラインにつなぎながら進んでいくが、自分の身の安全は自分で確保し責任を持つ、ということが最大の特徴となっている。
 
受付のあるツリーハウスの上で担当者からハーネスをつけてもらう。安全のためこれは自分で勝手に出来ない。必ず係員の手で安全を確認しながら取り付けることになっている。次はブリーフィングコースで安全講習を受け、器具の使い方やコース上でのルールを勉強する。
木の上に作られているプラットホームに上がるのは全て縄梯子になっていて、普通の梯子を上がるような訳にはいかない。コースはディスカバリーコースとアドベンチャーコースがあるが、そのプラットホームの高さは最高12mもある。ディスカバリーコースは身長110センチ以上で小学校1年生以上。アドベンチャーコースは、身長140センチ以上で小学校4年生以上となっているが、何故か体重130kgまでとなっている。重さ130kgまで堪えられるように作られているということだろう。
 
プラットホームからプラットホームへ移動する方法がいろいろあるが、中でも12mの樹上から、まるでターザンのようにロープを握って空中に張られたネットに飛び込み、そのネットをよじ登ってプラットホームへ上がる場所では、考え込んでなかなか動けない子供もいるという。
私は、若いスタッフ達と、全コース42種類のアクティビティを楽しみながら、童心を取り戻していた。木登りの経験はあるが、12mの樹上はさすがに高さを感じた。子供たちは、この木の上で虫や鳥たちと同じ視線で観察することにより森林を身近に感じ、自然の大切さに気付く。
また、コースのすぐ側には、遊歩道が設けられていて、アトラクションに参加しない見学の人も、一緒にコースを周ることができる。
 
大自然のなかで、そよぐ風を感じながら最高の気分を味わった。100mを超える滑車での空中移動は、かなりの時間を感じ、忘れかけていたスリリングな気持ちに身も心も反応した経験は、この年になって忘れることができないものとなった。
そして夜は、キャンプ場管理棟のスタッフ全員が北軽井沢「かつ山亭」に集まり、ゴールデンウイークお疲れ様交流会が開催された。
若さ溢れる11人の歓声のなかで、胃袋に流れ込む例の液体と食料は、ほどよい運動の後という好条件もあり、いつもより速いピッチであったが、心地よい速度で喉もとを通過していった。
そしてまた和やかな雰囲気の中で、ついつい歳のことなど忘れてしまったといういつものパターンに変わりはなかった。
スウィートグラスアドベンチャーの詳細は、ホームページをごらんいただきたい。
 
 

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この地に移り住んで4年になろうとしているが、変化した自分に驚くことがある。自然に囲まれた生活の中では、というより、店もない、街灯もない、ネオンもない、隣人もいないのでは、誰だって木々や草花といったものに目が向くのはあたりまえのことかもしれないが、以前は花などに興味がなかったのに、随分と花や木々の名前もいつの間にか覚えるようになっている。
 
ブログを書き始めた頃、かわいらしい小さな花を見つけ、写真をブログにアップしたとき、ある方のコメントでその花がフデリンドウと分かった。青紫色の小さな花は、とても印象に残り、この時期になるといつの間にかフデリンドウを探している自分に気づく。そして、昨年は白い花のフデリンドウを見つけた。小さな花なので注意してみないと見逃してしまう。自転車の速度ではとても見ることは出来ない。
 
花の閉じた状態が、筆の穂先に似ているのが花の由来のようだが、花言葉は、「本当の愛、正義、高貴」。花言葉は誰が考えたのか知らないが、どの花の花言葉もよくできている。自然の中に暮らしているといろいろな小さな物も見えてくる。小さなフデリンドウも今年はたくさん見つけることが出来た。落ち葉の中から一輪だけ顔を出しているのもあるが、お隣のTさんの庭ではたくさんのフデリンドウを発見した。昨年はこんなにたくさんのフデリンドウはなかったのだが、不思議に思い調べてみると、フデリンドウは花が終わると、垂直に立った紡錘形の果実ができ、熟すとてっぺんから真っ二つに割れて天に向かって杯状に口を開くが、上を向いて開いているのでそのままでは種子は落ちない。それは雨が降って、雨粒による衝撃ではじき飛ばされるか、杯を満たした水とともに流れ出すという。こうして拡がった種子から再び花を咲かせるというので、Tさんの庭のその部分は毎年少しずつフデリンドウが増えていくのではないかと考えられる。
 
フデリンドウはリンドウ科リンドウ属の越年草で、北海道から九州まで広く分布し、日当たりの良い山野を好む。秋に発芽し、春に花を咲かせて枯れてしまう植物なので、冬から春にかけて充分な光のある草原やよく手入れされた明るい落葉樹林でないと生き延びることができないという。この場所は、その条件にピッタリの場所に違いない。
 
リンドウは漢字では「竜胆」と書く。熊の胆嚢を干した物が熊胆(ゆうたん)として古くから漢方では胃腸薬として珍重されているが、リンドウの根には各種の苦味配糖体が含まれるため、熊胆に劣らぬ苦味と効能があるとして、竜胆(りゅうたん)という名で苦味健胃薬として利用されてきたというが、左党にとっては、リキュールの材料として用いられたという方に興味が湧く。
イタリアのカンパリ、フランスのスーズやアメール・ピコン、ドイツのウンダーベルグなど、数多くの苦味のあるリキュールにリンドウのエキスが使われているらしいが、これらの苦味リキュールの多くは、もともと胃腸薬として作られたもので、それが嗜好品として普及した。そして、ウンダーベルグは、いまだに小瓶に入って薬局で売られているという。
 
ここでは、ほとんど春と夏が同時にやってくるという感じがする。桜も5月になってやっと咲き始めるが、今では桜もほとんど終わりを告げ、つつじが咲き始めている。よく目を凝らしてみると様々な草花が、新芽を出したり花を咲かせたりしている。この時期は、新緑とともに草花にも目が離せない。
 
 

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四季があるというのは有難い。ここに住むと、春夏秋冬四季の変化にメリハリがあって、その景色の美しさに毎年歓声をあげている。暑さを感じる夏は短く冬、春、秋の景色には眼をみはるものがある。中でも新緑の春は、嬉しい。緑という色は心を落ち着けてくれるが、その緑の中に咲く様々な花が、何か幸せを運んできてくれたように感じるのは私だけではあるまい。
 
週に一度の買い物も、その道中の景色の変化を楽しみにしている。この時期は一週間ごとに見事に変身する自然の姿に感動する。買い物を済ませ、高齢者温泉利用券がなくなったので発行してもらうため、午後から私は自転車に乗って村役場まで行くことにした。
車では、よほどの急傾斜でなければ上り坂を感じないが、自転車では少ない傾斜でも強く実感するものだ。家を出て西の方向へと進むのだが、ほとんどペダルをこぐ必要はなく、スイスイと風をきって進む。プリンスランド森の街、花の街を突っ切って細原ゲートから五文路経由で大前駅を目指す。風、音、匂い、すべて新鮮で心は踊る。軽快に走る姿は気持ちよさそうに見えるのだろう、途中で出会った農家の人と挨拶を交わすと、気持ちいいでしょうと、明るい声が還ってくる。
 
大前駅の手前では、13カ所のヘアピンカーブの急坂を下る。両方のブレーキは、握ったままの状態が続き、帰路、もしまたこの道を引き返すなら、ここだけは自転車を押して歩くことになるに違いないと思ながら、急坂のため、景色を見る余裕はない。JR吾妻線の線路を越え、吾妻川に架かる橋を渡り、往路の登りはここだけという急坂を登りきると、国道144号に出る。そして、目の前に村役場がある。約8kmの距離を26分で走破、ブレーキをかけながら、最高時速39キロ、平均速度13キロでまったく疲労感はなく、ほとんど汗もかかなかった。
 
帰路は、国道144号を三原方面へ下り、途中で近道をするため右折するが、ここからが登りの始まりとなる。そしてこの登りが、復路の最大の難所だった。ギアを切り替え、ふうふういいながら登る坂は、途中で右側に炭焼き小屋が見える。実はこの冬、天気が続いたので大丈夫だと思い、この道へ入り、大変なことになった経験を思い出した。他の車がぜんぜんいなければ、何とか通行できたかも知れないが、前を行く軽自動車が離合のため停車したが、そのままズルズルと下がりはじめ、私の車の直前でやっと止まった。私の車も進むことが出来ず、地元の人たちに助けていただいた苦い思い出がある。冬場の凍結した登りの道路は、その傾斜角度に関係なく、とても危険だという教訓を得たが、今日は自転車である。最後の急傾斜の場所でついにペダルをこぐ事を断念した。数十メートルの距離を、自転車を押しながら歩き、有料道路に続く道へ出た。
 
ここでしばらく休むことにして用意していたパンを取り出し、水を飲む。冷たい水が食道を通り胃袋へと落ちていくのがはっきりと分かる。水がこれほど旨いとは、長い間忘れていた味だった。
水音がするので、ガードレールをこえて覗いてみると、滝が見えた。周りの美しい緑にしぶきが飛び、自分にもそのしぶきがかかっているような錯覚にとらわれる。マイナスイオンが充満する
 
その場所でしばらく休んで、再び自転車を跨いだ。
ここからは有料道路と書かれた標識の場所を左折し、北軽井沢方向へ向かい、途中で右折して鎌原小学校のところへ出るが、ここがまた急傾斜の上り坂。ギアを一番軽いのに切り替えるが足の回転は速くなり、スピードがでないので、ふらふらとハンドルがゆらぐ。
炭焼き街道と呼ばれるこの道には、何カ所かの炭焼き小屋があり、材料の薪がたくさん積まれていた。有料道路の現在では無人化している料金所のところを渡ると、プリンスランドのシャンポール通りを経由してホテルグリーンプラザへ到着するが、ここまでもすべて上り坂だ。
結局、トータル約20㎞のサイクリングは、1時間48分。往路が下りばかりという事は、復路は上り坂となる事は当然であるが、急傾斜の場所は限られているので、辛抱するのは2~3カ所だ。
 
自転車は素晴らしい。ガソリンもいらないし、健康的である。しかし、それをこぐ人間の燃料は少々高くつくのである。夕方からは温泉につかり、その後のビールや赤いワインの味が格別であったのは言うまでもない。
 
 

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雨の心配がない場合、自転車通勤を楽しんでいる。浅間山の雪もところどころに見えるだけとなった。通勤路最後の上り坂もいつの間にか緑のトンネルが出来ている。黄色のタンポポは、外来種らしいが、今盛りにその存在感を誇っているようだ。春から初夏へと季節は移動しているが、ここでの生活は、まだまだ油断できない。今朝の気温は7℃だったが、その後もあまり上がらず最高気温は9℃と少し肌寒さを感じるほどで、慌ててセーターを着る始末だった。
 
昨日カッコーの鳴き声を聞いたと妻が言っていたが、私も今日その声を確認した。季節を間違えたのか、カッコーがなく時期も少し早いように思う。そして昨日は金環日食で日本中が湧き上がり、私たちもカラマツの間からちらちらと覗く太陽の変化を楽しんだ。1ヶ月くらい前にアマゾンで手に入れた日食グラスは380円(送料無料)と格安で、眼に害のある偽物かと心配していたが、その心配はなかった。しかし、いざというときになって、どうして二つ買わなかったの?という、妻の発言はもっともであった。
 
何日かブログをアップ出来なかったが、その間、地元のあのお方から届いたクレソンを美味しくいただき、お隣のTさんが帰宅する前に、七草で美味しい蕎麦をご馳走になった。コゴミ、タラの芽、コシアブラも妻が採集して食べさせてくれた。そして、何ともうヤナギタケが出ていたと、みそ汁の具になって私を喜ばせてくれた。Tさんとは例によってあの美味しいお茶をいただきながら、楽しい一時を過ごした。そして、T夫妻は、遅咲きの桜を楽しんで元気に川崎へと帰っていった。
 
森の中に住む特権の一つは、何といっても日々移り変わる景色を楽しめることだ。毎日よく注意してみていると、まるでスライドを見ているように日々変化している。そして今では、いつの間にかあたりは緑いっぱいになってしまった。近隣の建物もこの緑に覆い隠され、清々しい匂いさえ感じられ、イカルの清らかな澄んだ声が緑の森に響き、幾色もの緑を着込んだ山々は、ニッコリと微笑んでいる。
 
 

多田富雄著「独酌余滴」は、2000年度日本エッセイストクラブ賞を受賞している。私の読書は、もっぱら好き勝手にあれを読んだりこれを読んだりという、これといって目的を持たないが、読んでいる本の中で紹介されている物を読んでみたくなったりすることが多い。そしてまた、その本の話しの中で登場してくる作家の本へと移っていく。それは友達の紹介で会った人と意気投合し、そのまた友達と知り合うということにも似ている。
 
歳のせいか、老人とか、高齢者、老後、介護などという活字が最近やけに目につく。
「秀麗なる老人」は、「独酌余滴」のなかに出てくるタイトルで著者が能の名曲「遊行柳」を見て感じたことが綴られている。私は能のことはとんと分からないが、「遊行柳」は、朽ちた柳の木の精が、老人の姿で諸国行脚の遊行上人の前に現れ、静かな舞を舞うというものらしい。
「秀麗」を辞書で引くと他のものより一段とりっぱで美しいこと、また、そのさま。とあるが、そのシュウレイという言葉の響きには、何か高貴な匂いがして魅力を感じる。
 
この能のなかで舞う老人は、室町時代の作者が描こうとした人間の老いの究極の姿の一つであるが、こんな秀麗な老人を見かけなくなったと、著者はいう。老柳の精の舞を見ながら著者は、新聞やテレビでしばしば取り上げられている高齢化社会の老人のことを思った、といい、次のように語っている。
 
「すぐに思い出すのは、阪神淡路大震災で被災した老人の救いのない日々、福祉の手の届かない寝たきり老人、老いてなお趣味や勉強に打ち込んでいる人たち、人それぞれの老後を生きる姿が紹介されている。しかし『秀麗な』老人の姿を見ることは少ない。振り返って考えてみると、一人ひとり多様な個性を持っていた少年たちが成人になると、おしなべて平均化された大人になってしまうが、今度は成人から老人になると再び多様性を持ったいろいろなタイプの老人が現れる。それが老人という存在を面白く劇的なものにしている。いろいろな老人がいることは社会を豊にする。しかし、『秀麗な』という形容詞が当てはまるような老人はなかなかいない。この役どころだけが日本では少ないように思われる。なぜだろうか、と思った。平均寿命が現在の半分以下だった室町時代にだって老人はいた。人間が生き延びることができる限界の年齢、つまり最大寿命は、環境にかかわらず120歳ていどである。室町時代にも百歳老人はいた。だからこそこの「遊行柳」のような能も作られ、能の「翁」なども演じられたのだ。いま、百歳老人などは稀でなくなった。でも『秀麗な』老人はなかなかいない。老人を秀麗にさせない何かがあるのだろうか。そうだとすれば、この能の中に『秀麗な』老人であるための秘密がかくされているのかもしれないと思い、私は眼を凝らした。
 
老柳の精は静かに舞っていた。能の中心部のクセ舞では、この老人の数々の記憶が物語られる。華やかだった若き日、恋の思い出だってある。遠くなった耳には、ふと若き日の蹴鞠(フットボール)の沓音さえ聞こえて胸をときめかせる。そうした重なった時間の記憶が老人の心を豊かにしている。かつて遊行上人の道案内をしたことも老人の誇りである。それらの記憶が重層した存在としていまここに生きているという老人の自信と誇り。しかし、肉体は明らかに衰え、足元は風に漂うように危うい。気力も萎え、舞のステップさえよわよわとなっているなさけないありさまである。それを思う老人の恥じらいがふと横顔ににじむ。
そうだ、この『秀麗さ』を作り出しているのは、老人の『誇り』と『恥じらい』なのだ。誇りだけだったら単なる強がりに過ぎない。そんな老人は厄介者になってしまう。しかしその裏側にある恥じらいが、老人を優しい親しみやすいものにしている。
そうだとすると、現代の老人に欠けているものは、まさに老いの『誇り』と『恥じらい』なのかもしれない。たしかに今の日本社会では、老人の尊厳と優しさを守ることはますます難しくなっている。・・・・・福祉の対象である弱者としてまず自らを位置づけ、社会に負担だけを要求する立場になったのでは『秀麗な』老人にはなれまい。1世紀に近い時間を生き延び、衰えたりとはいえ、さまざまな時間の記憶に彩られた生を生きている誇りを持つこと、そしてそれが必然的に崩れ去ってゆくことへの名残と恥じらいを心に含んで、初めて『秀麗な』老人の道が開けるのではないだろうか。
 
そんなことは、言うべくして困難であることをこの私自身がよく承知している。そればかりか、この日本という社会自体が『誇り』などという言葉を失ってしまっているではないか。いきおい若者さえ『無恥』を公然としていることを知らぬわけではない。しかし、もし老人の方で『誇り』を回復することがなければ、若者に恥じらいを求めることはできまい。新聞などで、暗い厄介な重荷としてのみ老人問題が報じられている今、誇りと恥じらいを失わない老人がどんなに必要なのかは明白なのである。そうした老人は、逆に若者を力づける。
晩秋のひと日に演じられた秀麗な老木の精の舞は、いま日本の老人から失われかけているものの大切さを語りかけているように思われた」
 
老人とは、いったい何歳からを指すのだろう、と考える。現在、すこしずつその答えが明かされるときが近づいているが、私はまだ老人宣言をするつもりはない。そして、結局は遠く及ばないにしても秀麗なる老人を目指したい。日々研鑽を積んでいけば、一歩でも近づくことになるだろう。老人予備軍の一人として新たな目標が出来た。まさに『読書は師』なのである。
 
 
 
 

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