北軽井沢 虹の街 爽やかな風

「最後は緑豊かな自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻に従う形で移住生活を始めた場所は、活火山浅間山北麓に位置する標高1100mを超える厳寒の地。 北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場で働きながら最後の人生を謳歌している。一人の老人が経験する出来事をそのまま書き記していきたい。

2012年07月

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朝は晴れていても午後から連日の雷雨に見舞われた7月の終盤だった。7月最後の今日、空は晴れわたり、濃い緑となった森の木々の隙間から、木洩れ日が差し込む景色にしばらく見とれてしまう。森の中では、空を見るために顔を上げても、立ちはだかる木々の葉に青空はところどころに確認できるほどで、差し込む木漏れ日が、キラキラとまばゆい。
 
妻の歯の治療が少し長引き、出勤予定だった今日を休日にしたが、8月の初っぱなから2連休があったので、思わぬ3連休となった。小鳥の鳴き声を聞きながら、久しぶりにプリンスランドを歩いた。どちらを向いても緑また緑。名も知らぬ草花たちが、行く先々で出迎えてくれる。
ここへ来る前は、タンポポくらいしか知らなかった草花の名も少しは覚えたが、それもほんの少しで、ほとんどの花の名は分からない。夏本番とあって、時折避暑に訪れている人と出会う。
 
歯科医の近くにある大きなネムノキが、ピンク色の花をいっぱいに咲かせていた。妻の歯の治療は今日で終わった。たいした治療でなくても医者通いは決して楽しいものではないが、私も妻も往復20キロの道中が楽しい。自然の力は雄大で人の心を癒し、時には人間の性格や考え方まで変えてしまう力が潜んでいるように思う。風の音も、落ち葉の舞う様も、時には音楽となる。
自然の中に身を置いていると、様々な感情が湧いてくるという不思議さをしばしば感じるようになった。
 
久々のランチシェフに用意されたのはパスタだった。アルバイトではあるが、仕事を持つようになってからは料理のレパートリーはいっこうに増えていない。しかし、身についた何種類かのメニューは、すらすらと準備して滞りなくできるようになっている。本の中に出てくるいくつかのメニューを作ってみたいと思っているが、なかなかそのチャンスがない。
 
スマートフォンが娘からの連絡を告げるメロディを鳴らす。来週、休みが取れるので夫婦で来るという知らせだった。思いもよらぬ子どもたちの来訪に、忙しくなりそうだ。
来週、床屋へ行くつもりにしていたが、変更して自転車を走らせた。この炎天下に自転車といっても、ここでは多くの緑のトンネルがあり、夏とは思えないほどの気持ちのいい風が吹いていた。
道中で美しい白い花を咲かせていたジャガイモの花は散り、葉も落ちて茶色い茎がみすぼらしく立っていた。そろそろ収穫の時期かも知れない。その隣には、花豆の可愛い花が青空に映える。
一度刈り取られた牧草も、いつの間にか随分と伸びている。もうすっかり慣れっこになった田舎の香水を嗅ぎながら、ゆっくりと進む自転車は最高に楽しい。
 
3ヶ月振りに会う理髪店の店主と、たあいもない会話を楽しみ、帰路、ホテルグリーンプラザの温泉へつかり、帰宅後は久々のお昼寝で体を休めたが、おおきなイビキをかいていたという。
そして7月は無事終わった。
 
 
 

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報道では熱中症で倒れる人が続出しているという。猛暑が続いているが、キャンプ場では、連日100組を超えるキャンパーたちで賑わっている。夏休み期間中は、私たちの休みも少なく、気合いを入れなくてはいけない時期だ。忙しさにサボリがちになるストレッチやスクワット、腹筋背筋運動は、気合いで毎日続けている。そして、昨日と今日はキャンパーたちも「暑い!」を連発していたが、夕方になるとあっという間に天気が急変し、誰も好まないゴロゴロという音が鳴り響き、バケツをひっくり返すほどの強い雨が降った。キャンプ場では、スロープのある道は一気に川に変わるほどだった。こんな雨が何時間も、しかも連日降り続くとどんな場所でもたまったものではない。雨の災害が九州各地で発生した訳がよくわかったような気がした。
 
「小川作りプロジェクト」で出来たキャンプ場の小さな川は、いつのまにか「こぞう川」と名付けられている。多目的広場を通り過ぎて「おしぎっぱの森」に入ると、ジェロニモの滝が水音を響かせている「地蔵川」がある。その地蔵川にそそぐ小さな川が「こぞう川」とは、子どもたちも喜びそうないい名前だと思った。小さな子供たちのあどけない表情やしぐさは、忙しい中でも心が和む。そして、ドッグランの裏側にある畑では、レタスの収穫が終わった後、二度目の定植が始まっている。
 
自転車通勤を続けているが、帰路は登りが多く、帰宅すると、汗ですっかり着替えなくてはならないほどだ。中学生の頃に自転車通学をしていた事を思い出すが、昨日はちょうど帰宅する時間に猛烈な雨が降り始め、30分ほど雨が通り過ぎるのを待った。なんとか雨が止んでいる間に帰宅できたが、水溜まりを通り過ぎる度に舞い上がる水滴が顔を襲うのに苦労した。
ここでは夏は短い。すでに蝉の声は聞こえない。8月も半ばになると秋の虫の音が聞こえ始める。
キャンパーたちの笑顔に出会いながら、短い夏をしっかりと楽しみたい。
 
 
 
 
 

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ブログを書き始めてちょうど4年となる記念日。こういうのを記念日というのかと少々疑問に思うが、やはり、私にとっては記念日である。リタイア後の移住生活にとってブログを書き始めたということが、その後の生活や人間関係に大きな影響を及ぼしたのは確かだ。そして今、ブログがきっかけで出来た何とも言い表しがたい素敵な仲間が出来た。その記念日、7月22日の日曜日、私の企画で池の平へハイキングに出かけた。
 
総勢9名の仲間は鹿沢温泉を通り越して地蔵峠を目指した。仲間が皆集まるとこの倍の人数になるが、仕事を持つ人たちが多く、また人にはそれぞれの都合があって、なかなか全員集合とはいかない。梅雨があがり絶好のハイキング日和と予想していたが、あいにくの曇り空で、今にも泣きそうな天気だった。平日なら池の平までマイカーで入れるが、この時期の土日は地蔵峠の駐車場からシャトルバスに乗らなければならない。
 
地蔵峠では、予想をはるかに超える賑わいで、駐車場は車でごった返していたが、何とか駐車することが出来た。シャトルバスは、何度も蛇行を繰り返しながら進み、約12分で池の平に到着した。こちらに来た年の2008年7月28日に来て以来だが、その時の新鮮な思い出が甦る。
一年を通じて1000種類の草花が咲き乱れる池の平湿原は、駐車場からそのまま木道で楽しめる湿原へ行くことが出来るが。その前に少しだけ険しい山の中に入り高い場所からの景色を楽しむのが望ましい。仲間の中には、今年から幼稚園に行き始めた男の子がいるが、私はこのハイキングをその幼い子に照準を合わせて企画したのだった。
 
何段も続く階段があり、岩がごろごろしていたりと、思っていたより幼い子には過酷なコースだったが、信頼する父親に手を引かれながら、仲間達の激励に奮起した彼は、最後の下りで少しだけ父のだっこに甘えただけで歩き通した。天気が晴なら素晴らしい景色も楽しめるはずだったが、昨日はあいにくの曇り空でそれは望めなかった。しかし、幻想的な霧が発生し、その霧が生き物のように動く様はめったに見られない光景であった。
湿原に咲き乱れるアヤメの群生は4年前よりも数が多く、紫色が鮮やかだった。仲間達は数々の高山植物に触れ合い、カメラを向けていたが大自然の中に身を置くと何といっても清らかな気持ちになれる。湿原を目の前にして食べた弁当は、それぞれいつもとは一味違ったものだったに違いない。そして、あの可憐なコマネチ(コマクサともいう)も、見事に咲き誇り私たちを喜ばせてくれた。
 
人間の人生は、人との出会いで決まると言われるくらい、人との関わり合いが大切である。
幸福は自分を大切にすることから始まるのであるが、人間は人との関わり合いにおいてのみ、幸福感を感じるものだ。楽しいことがあっても、それを分かち合える仲間がいなければ決して幸福な気持ちにはなれない。若い頃は皆大きな希望や野心を持って突き進むものだが、やがて一人の人間が出来ることは、たかが知れているということに気がつく時が来る。
それでも尚、人は何もせずにただぼんやりと暮らすことはできないもので、何か世の中と関わり、ほんの少しでも何かに貢献したいと思うものだ。そして、その方法は人の数ほどある。それぞれがその星を求めて生きる中で、一年に一度か二度でも会って語り合える仲間がいるということは、何よりも心強いことに違いない。
 
私は素晴らしい終の棲家を見つけ、心の和む仲間を得た。音沙汰がなくてもずっと親友でいられる仲間、会った瞬間に心が通じ合える仲は、若い頃の恋人同士の気持ちに近い。
最年長の私は、それでもぜんぜん責任を感じていない。浅間高原の自然の中で人生を楽しむ仲間達とは、これから先もきっと心の通じ合える仲間であり続けることだろう。
そんなことを思ながら歩いた池の平湿原は、また一つの良き思い出となった。
そして帰宅して、大相撲を見ていると、いつの間にか外は雨が降っていた。
 
 
 

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梅雨があけていきなり猛暑がやってきたが、今度は一転して気温が下がり寒くなるという気象の変化に驚いている。仕舞ったばかりの炬燵を慌てて出す妻の姿が少々滑稽だが、笑い事ではないのだ。これでは体調をくずしてもしかたないと感じている。
 
先週木曜日、毎週の買い物に出かけた。そして、六里ヶ原で久しぶりに青空と白い雲の競演を見た。それは浅間山ではなく反対側の風景で、芝生の向こうに森の木々が濃い緑に輝き、遠くの山並みの上には青空が見えたが、そこには青空をバックに気持ちよく踊っている白い雲があった。
そしてそのさらに上にはうろこ雲が静かに流れ、空だけ見ていると静かな秋のようだった。
 
鬼押しハイウエーでは、少しずつノリウツギが咲き始めている。家の近くで咲き誇っているノリウツギを見つけた。この地に来た頃、この花はヤマアジサイだと思いこんでいたが、道路沿いで見るノリウツギに感激したことが忘れられない。
 
 

1992年6月11日。
ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた
国連の地球環境サミット。
カナダ人の12歳の少女が、
いならぶ世界各国のリーダーたちを前に
わずか6分間のスピーチをした。
 
 
そのことばは、
人々の強い感動を呼び、世界中をかけめぐり、
いつしか「リオの伝説のスピーチ」と呼ばれるようになった。
 
 
「私たちひとりひとりの力が世界を変えていける」
ということを、
いまも世界中に伝えつづけている少女の言葉を、
あなたに届けます。
 
 
 
 
リオ地球環境サミットのスピーチから
こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。
エコというのは、子ども環境運動(エンバイロメンタル・チルドレンズ・オーガニゼイション)の略です。
カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。
あなたたち大人のみなさんにも、ぜひ生き方を変えていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をしてきました。
 
今日の私の話には、ウラもオモテもありません。
なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。
 
私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。
そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
 
太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。
呼吸をすることさえこわい。空気にどんな毒が入っているかもしれないから。
 
父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前に、体中ガンで犯された魚に出会うまで。
そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。
 
それらは、もう永遠にもどってはこないんです。
 
私の世代には、夢があります。
 
いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。
でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?
あなたたちは、私ぐらいの歳のときに、そんなことを心配したことがありますか。
 
こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ
余裕があるようなのんきな顔をしています。
まだ子どもの私には、この危機を救うのになにをしたらいいのかはっきりわかりません。
でも、あなたたち大人にも知ってほしいんです。
あなたたちもよい解決方法なんて、もっていないっていうことを。
 
オゾン層にあいた穴を、どうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。
 
死んだ川に、どうやってサケを呼び戻すのか、あなたは知らないでしょう。
 
絶滅した動物を、どうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。
 
どうやって直すのかわからいものを、こわし続けるのはもうやめてください。
 
ここでは、あなたたちは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。
あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。
でもほんとうは、あなたたちも誰かの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。そしてあなたたちのだれもが、だれかの子どもなんです。
 
私はまだ子どもですが、ここにいるみんなが、同じ大きな家族の一員であることを知っています。
そうです50億以上の人間からなる大家族。いいえ、じつは、3千万種類の生物からなる大家族です。
国境や各国の政府が、どんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。
 
私たちは子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、一つの目標に向けて心をひとつにして、行動しなければならないことを知っています。
私は怒っています。でも、自分を見失ってはいません。
私はこわい。
 
でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私はおそれません。
 
 
私の国でのむだづかいはたいへんなものです。
買っては捨て、また買っては捨てています。
それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富をわかちあおうとはしません。
物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手放すのがこわいんです。
 
カナダの私たちは、十分な食べ物と水と住まいを持つ、めぐまれた生活をしています。
時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら
何日もかかることでしょう。
2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。
ひとりの子どもが私たちにこう言いました。
 
「ぼくが金持ちだったらなあ。もしそうなら、家のない子すべてに、
食べものと、着るものと、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに」
 
 
家もなにもないひとりの子どもが、わかちあうことを考えているというのに、すべてを持っている
私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。
 
これらのめぐまれない子どもたちが、私とおなじぐらいの歳だということが、私の頭をはなれません。
どこに生まれついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。
私がリオの貧民街に住む子どものひとりだったかもしれないんです。
ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドで物乞いをしていたかも
しれないんです。
 
もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、
貧しさと環境問題を解決するために使えば、
この地球は
すばらしい星になるでしょう。
私はまだ子どもだけど、そのことを知っています。
学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたたち大人は私たち子どもに、世の中でどうふるまうかを
教えてくれます。
 
たとえば、
争いをしないこと。話し合いで解決すること。他人を尊重すること。ちらかしたら自分でかたづけること。
ほかの生き物をむやみに傷つけないこと。わかちあうこと。そして欲ばらないこと。
 
ならばなぜ、あなたたちは、私たちにするなということをしているんですか。
 
なぜあなたたちが今、こうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。
そしていったいだれのためにやっているのか。
 
それはあなたたちの子ども、つまり私たちのためです。
みなさんはこうした会議で、
私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを
決めているんです。
親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子どもたちをなぐさめるものです。
あるいは、「できるだけのことはしているから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。
しかし大人たちは、もうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。
 
おききしますが、私たち子どもの未来を、真剣に考えたことがありますか。
父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、何をするかでその人の値打ちが決まる、と
いいます。しかし、あなたたち大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。
 
あなたたちはいつも、私たちを愛しているといいます。しかし、いわせてください。
 
 
もしその言葉がほんとうなら、
どうか、本当だということを
行動でしめしてください。
 
 
最後まで私の話をきいてくださって
ありがとうございました。
 
 
12歳で伝説のスピーチをしたセヴァン・スズキは、日本人の血を引いた若き女性リーダーで日系4世のカナダ人環境保護活動家。伝説のスピーチから20年が経ち2児の母親となった彼女は今、環境保護活動のリーダーとして世界各国で講演や執筆活動を行っている。
 
12歳の少女のスピーチは、世界中の人々の心に響き感動を与えたが、私は、20年後の今、もう一度心に刻み呼び戻してみたかった。素晴らしい環境の中で暮らす幸せを噛みしめずにはいられない。「自然に従う生き方」という大きなテーマを掲げるスウィートグラスというキャンプ場で働きながら、自然いっぱいの森の中で暮らすことができるなんて、こんな素敵な生き方は夢の世界である。毎日を大切に生きたい。数日後、親しい仲間達と池の平湿原をハイキングすることになっている。豊かな自然に感謝し「ありがとう」と叫びたい。
 

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