北軽井沢 虹の街 爽やかな風

「最後は緑豊かな自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻に従う形で移住生活を始めた場所は、活火山浅間山北麓に位置する標高1100mを超える厳寒の地。 北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場で働きながら最後の人生を謳歌している。一人の老人が経験する出来事をそのまま書き記していきたい。

2014年01月

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ちょっと古い話になるが、北軽井沢スウィートグラスに時折テントを設営し、ゆっくりとキャンプを楽しんでいる素敵なカップルに話しかけ、以来、来場されるたびに話を交わすようになっていたが、クリスマスの頃お二人を自宅に招きお茶を楽しんだとき、隔月に出版されている「Discover Japan」という雑誌の12月号に息子が運営している「トラットリア・ジュゲム」というイタリアンレストランが紹介されたという話をしてその記事を見せたところ、さっそく店を利用していただき、その様子をブログ記事にアップしていただいた。

 

雑誌の記事は「シャトー・メルシャン桔梗ケ原メロールの挑戦」の中で、シャトー・メルシャンを楽しめるお店の一つとして紹介されたもので、次のように書かれている。

 

神田駅からすぐの場所に店をかまえ16年目。ランチ、ディナーともに近隣のオフィスワーカーに人気だ。手軽にワインを楽しんでほしいとイタリアワインを250種そろえる店で、唯一扱う国産ワインがシャトー・メルシャン。食材もイタリア産のものだけでなく、日本の旬な魚や野菜も取り入れる。ワインに合う料理が揃い、ついつい長居をする客が多いというのも納得だ。

 

素敵なカップルはKaoru&Beetさん。いろいろな場所でキャンプを楽しんでいるお二人には素敵な夢があり、その話を聞かせていただき、こちらもワクワクした気持ちになった。

話しているうちに彼が私と同じ干支だとわかり、ますます親近感がわき話が弾んだのだった。まったく知らない人と出会い、意気投合することはまれであるが、こういうことがあるから人生は楽しいのだ。久々の回し者記事も、我が息子の店なので回し者の自慢話というわけである。

 

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移住生活も6度目の冬を迎えている。毎年冬になるといろいろな新しい経験をしているが、おかげで薪の材料にもありつけ、不自由なく暖炉を楽しめているし、何といって不自由はない。今月はアルバイトも出勤が少なくて、体力を使うことはなく、今年は何故か楽だな、と感じるのは雪が降らないので雪掻きという労働がないからだと気づく。しいていえば薪を家の中に運び込むことくらいで、元気な体を持て余している始末だ。

昨日は午後つつじの湯へ行ったが、道中のパノラマラインでは、時折車を止めて景色に見入ることが何度もあった。ウイークデイの昼下がり、通る車もいない。人の姿も見えないパノラマラインの両脇には除雪車がかき上げた雪があり、知らない人が通ったら山裾まで広がる広大な平地がキャベツ畑だとはわからないだろうと思われるほどに、一面雪で覆われている。やがて雪解けが始まるとその下からは黒い土が現れるのだが、今は白い布団をかぶって冬眠中だ。遠くに視線を向けると、自分の立っている場所は様々な形をした山々にぐるりと囲まれている。浅間山、黒斑山、四阿山、白根山、それくらいしか山の名前は知らないが、360℃の大パノラマは素晴らしい。いつの間にかどこか知らない国へ来たような錯覚をおこしそうだ。静かで音もないここはどこだろう。時折吹く風は冷たく、車の温度計はマイナス5℃を表している。空はどこまでも不気味なほど青く透きとおり白い雪がそれゆえにますます白く感じる。大自然の素晴らしさに涙がこみ上げてきそうだ。

 

先日ブロ友のある女性の記事に冬がつらいという話があった。それまで電気パネルヒーターを付けたままぬくぬくと寝ていた私は、21日からそれを止めてみた。起床時の室内温度が12~13℃だったのが、6℃、4℃、3℃と下がりついに今朝は2℃だった。電気毛布プラス湯たんぽの布団の中はぽかぽかで、布団をはねのけて起きるには勇気がいる。

しかし、気合を入れて起きると気持ちいい。カーテンを開けると外は晴れわたり、すでに飛び回っている小鳥たちが目に飛び込んでくる。何という気持ちのいい朝だろう。休日は朝から暖炉に火をつける。室内には円形の薪ループがあり、絶えずぎっしりと薪が確保されている。雪が降って薪を運べなくても3日ぐらいは不自由しないようにストックしておくのが大切な仕事になっているのだ。NHKのニュースを見ていると、東京では今日も気温が10℃を下回り、真冬の寒さは続きそうです、なんてことを言っているが。こちらはマイナス10℃を下回っている。何を言ってるのかと思うが次元が違う話に妻と顔を見合わせて笑ってしまう。次元が違うと言えばマイナス30度の厳しさの中で生活している人たちもいる。それを思うとこの寒さは、ちょうどいい寒さに思えるのだった。

 

もう慣れっこになったが、それにしても静かな夜だ。そばにある置時計が時を刻む音が聞こえるだけの静かな夜、パソコンに取り込んだクラシック音楽を聴きながらの読書は、寒い冬の最高の楽しみだ。

久しぶりにサミュエル・ウルマンのメッセージを読んでみる。

 

 

人は自らの信念とともに若く
自らが抱く疑いとともに老いる。

 

人は自信とともに若く
自らが抱く恐れとともに老いる。

 

人は希望とともに若く
自らが抱く絶望とともに老いる。

 

年月は皮膚にしわを寄せるが
情熱を捨てれば魂にしわが寄る。

 

 
 
 
 
 
 

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先日、凍りつくような寒い夜、スウィートグラスのバーモントコテージで送別会があった。一人の青年が退職し、地元大阪へ帰るという知らせに私も駆けつけた。6時から始まると聞いていたので、同僚のY嬢に迎えに来てもらい出席したが、行ってみると幹事役の女性はレシピを見ながら食材を眺めている状態だ。管理棟に鍋やコンロをとりに行ったり、ついには鍋料理の手助けをする羽目になった。

約20名が参加した送別会は、本人には「スウィートグラスバンド復活ライブ・ドッキリ」をすると話してあり、実は彼への逆ドッキリ、という演出だった。ギターを持った仲間たちとともに登場したニックネーム、モリモリ君はカーボーイハットで颯爽と歌う。演奏曲は「カントリーロード」。これなら私も聞いたことがある。最後まで歌い終わった後、私たちだけに知らされていた歌が続く。

 

モリモリー ありがとう

大阪 帰っても 忘れないで

見てごらん 素敵な 仲間

 

このフレーズが繰り返され、次々に記念品が渡される場面ではグッとくる。

いつものことだが、人にはそれぞれの事情がある。別れはつらいが地元大阪でまた新しい人生を歩むことにした青年の幸多からんことを祈る。集まったほとんどの人たちが私の子供よりも若いという会の中で過ごしていると、自分の年齢も忘れてしまい、ついつい例のものが心地よく喉元を通り過ぎていき、ずいぶんと気分が若返った。

帰路は同じ方向のTさんに送ってもらうといういつものパターンだが、送迎付きだから安心して楽しむことができ感謝している。ウオッカのオレンジジュース割りが少々効きすぎて翌日は久しぶりに頭がふらついたが、ちょうどバイトのシフトが4連休なので助かった。

最低気温マイナス二桁が続き、もっぱら暖炉奉行に徹している。

 
 

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ここに来て6回目の冬を迎えているが、この雪景色には心が躍る。緑の葉を残す針葉樹にも葉を落とした落葉樹にも美しい雪の花が咲く。連日真冬日の寒さもこの景色で吹っ飛んでしまう。木々の間にのぞく青空は、風が吹き飛ばされる雪に一瞬その姿を隠す。外を歩いていて、晴れた青空に油断していると突然この飛び散る白い花びらに襲われる。

ここならではの景色に6回目の冬なのに新鮮さを感じるのである。

軽井沢へ向かう途中の景色も、思わず歓声を上げたくなるほどに美しい。

まったく、この雪景色は素晴らしい。







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2014年が始まってすでに5日経過している。年末に鼻風邪をひき、念のため早く寝たり無理をしないように努めた結果、仕事を休むこともなく大事に至らずに済んだ。

久しぶりにブログ記事に挑んでいるが、例年通り元日から仕事に出ている。相変わらず冬キャンプの人たちに出会っているが、雪上テントにはまったく恐れ入る。今朝などはマイナス13℃の気温である。いくら薪ストーブつきテントといっても見ただけで震えるような光景だ。しかしそのキャンプ場に勤務している者がそんなことを言ってはどうにもならない。来客中のキャビンやコテージからは、もくもくと煙が上がり、チビッ子たちの歓声は寒さを吹き飛ばしている。

 

こちらで生活をはじめて出会った人たちは多いが、二人の青年が私の息子になった。といってもこちらが勝手に長男、次男と呼んでいるだけなのである。それでもそういっているうちに何だか本当の子供のように思えている。先日は次男がいつものように上等のマグロを置いていってくれ、家族で来ていると電話をくれた。そして今日は長男が訪問してくれて久しぶりに孫や嫁と出会うことができた。現役で働く二人の青年は子育て真っ最中の働き盛りで二人とも家族思いの好青年だ。東京や横浜で生活していても二人ともこちらに山荘を持ち、この浅間高原をこよなく愛している点では私たちと共通しているので、この親しい間柄は長く続くに違いない。

 

私はこちらへ来てからは年賀状は書かないと決めたが、毎年何通かの年賀状をいただいている。高齢者になると不義理は許されると考えていたが、何の返事も出さないというのもどうかと思うようになり、今年からいただいた年賀状の返事は出すことにしようと考え、ぼちぼちと書き始めた。事業をしていた現役時代には、少しでも仕事に結びつくかもしれないという欲でたくさんの年賀状を書いたものだ。しかし、いつまでも年賀状をくれる旧知の人たちに、こちらの近況などを書いていると、その人の顔が浮かんでくるし、懐かしい思い出も湧いてくる。手紙を書くことでまた心が触れ合ったという心地よい気持ちになれるものだ。やはり不義理は心にも体の細胞のためにもよくないと感じたのだった。

 

キャンプ場の職場では、退職していく人もいる。たとえ2~3年の付き合いでもさみしい気持ちになるが、人にはそれぞれの事情があり、それぞれの人生がある。お世話になった礼を述べ笑顔で別れなければならないだろう。人は皆、出会いがあれば別れもある。その人がその組織の中で重要な人物であればあるほど、退職という二文字に大きな影響を感じないわけにはいかないが、世の中はうまくできていて、いつのときもそれは何とかなっていくもののようだ。ちょっとたとえは違うかもしれないが、今、野球やサッカーの優秀な選手が外国へその活躍場所を移していく様子を見て残念がる人が多い。しかし、その有名選手が出ていったからこそ新しく活躍の場を得る選手が出てくるのであって、野球界、サッカー界としては決して悲しむ出来事ではない。しかも出ていく人たちがすべて成功するとは限らないのだ。その人にとって何が一番良いかはやってみないとわからないのである。

思い出してみると私は若い頃、今の自分はこのままでいいのだろうかと、何度も考えたことがある。しかし、その的確な答えを得ることはなかった、というより深く考える暇などなかったのである。そしてがむしゃらに前に進んだものだ。いや、後戻りしてやり直したこともある。どちらにしても現在の自分を忠実に生きることが正解といえる。何事もしっかりと考えればそんなにむつかしい問題はないのに、悩んでしまうのは何故か。今になって考えると、その最大の原因の一つに「欲」があるような気がするが、それもまた人によってそれぞれ違うかもしれない。

 

長い人生の中では皆それぞれいろいろなことがあるものだ、しかしそれが良いことであれ悲しいことであれ、終わってしまえばみな過去のこと。今日のことでさえ明日になれば過去である。私は今年も明日に向かって未来に向かって前進しようと考えている。今を大切に明日に向かって進めばよい。私の家系は「物忘れが激しい」ことが特徴だが、「忘れること」・・・これはどうやら一番の健康の秘訣かもしれない。しかし、過去のことは忘れて前へ進むが、いつも「笑顔」だけは忘れないようにしたいものだ。

2014年が動き始めた。その速さは去年と同じ。時は刻々と刻まれていく。ワクワクするような未来に向かって「笑顔」は絶えず最前線を進む。

 
 

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