北軽井沢 虹の街 爽やかな風

「最後は緑豊かな自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻に従う形で移住生活を始めた場所は、活火山浅間山北麓に位置する標高1100mを超える厳寒の地。 北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場で働きながら最後の人生を謳歌している。一人の老人が経験する出来事をそのまま書き記していきたい。

2014年06月



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またまた新聞ネタ。

 

ドイツ在住約30年で、現地のエネルギー事情に詳しい作家の川口マーン恵美氏が25日、産経新聞のインタビューに応じ、「日本は、『脱原発』を急ぎ過ぎて失敗しているドイツをまねすべきではない」と訴えた。川口氏は高品質で二酸化炭素(CO2)排出量の少ない電力を安く調達しようとすれば、当面は原子力発電が必要と唱えている。

東京電力の福島第1原発事故後、ドイツは17基の原発のうち、老朽化した8基を停止。残る9基も2022年までに止める方針を打ち出した。この判断について、川口氏は「環境保護意識が強くて怖がりやすい人たち。原発事故で急速な脱原発に突っ走ってしまった」と分析する。

ドイツは、太陽光や風力など再生可能エネルギーを一定価格で買い取るよう電力会社に義務付ける固定価格買い取り制度(FIT)を導入し、原発の代替電源にしようとした。

しかし、買い取り料が増えた結果、電気料金に上乗せされる消費者の負担は年々膨らみ続け、13年の標準家庭の電気料金は円換算で月1万円程度と00年の約2倍だ。

川口氏は「FITで太陽光や風力を増やそうとすれば、今後も電気料金はアップし続ける。しかも、電気を大量に使う大企業は負担金を減免されているので、家庭と中小企業の不公

平感は強い」と懸念する。

さらに、電力不足を補うため、自国産出の褐炭(低品質の石炭)を燃料とする火力発電所を増強しているため、CO2排出量が急増しているという。

川口氏は「世界的に原発は増えている、島国の日本は、電力不足になれば近隣国と送電網がつながっているドイツよりも深刻な事態に陥る。ドイツはいずれエネルギー政策を修正するはずで、日本もドイツの脱原発をまねすべきではない」と警鐘を鳴らした。

 

新聞やテレビなどあらゆる報道は、必ずしも真実を伝えているとは限らない。そして、必ずしも正しいわけではない。

私たちは誰もが、多くの人のお世話になって生涯を送る。他者のお世話にならずに生きていくことはできない。それは、社会の仕組み自体が、多くの人の存在のおかげで動いているからだ。しかし、人は皆、自分を失わずに、誰とでも穏やかに心を開いて会話ができ、相手と同感するところと、拒否すべき点とを明確に見極め、その中にあって決して流されないことが大切。また、人は誰でも、自分勝手な思い込みをするものだ。世界は自分中心に廻っていると思う癖は誰にでもあるに違いない。

 
 

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いすゞ自動車とバイオベンチャーのユーグレナは、ミドリムシ由来のバイオディーゼル燃料の実用化に向けた共同研究を始めると発表した。以下、新聞ネタである。

 

ユーグレナが世界で初めて量産に成功したミドリムシ由来の燃料「デューゼル」を使い、いすゞの藤沢工場でシャトルバスの定期運行を行う。

植物などを原料とするバイオ燃料は生育段階で二酸化炭素(CO2)を吸収するため、燃やしても大気中のCO2総量が増えないので、温暖化対策に需要が拡大しているが、現在主流のトウモロコシやサトウキビの利用は穀物価格の上昇を招く懸念があり、食料資源を減少させないバイオ燃料として注目されるのがミドリムシなどの藻類で、光合成で貯蓄する油分を抽出する。耕作地がいらないため国土の狭い日本でも安定的な生産が可能である。単位面積当たりの生産量はトウモロコシの700倍とされ、培養できる夢の資源といわれている。ミドリムシの学名を社名にしたユーグレナは、ミドリムシの大量培養技術を持ち、一年前から開発に取り組んできた。現在流通しているバイオディーゼル燃料は変質してエンジンを傷める恐れがあり、軽油に5%までしか混ぜられない。「デューゼル」も当初は含有率1%から使用を開始して、シャトルバスが不具合を起こさないか見極めながら研究を進め、平成30年までに100%軽油と置き換える計画だという。

ユーグレナは05年設立のベンチャーだが、JX日鉱日石エネルギーや日立製作所が共同研究に参加。ANAホールディングスも資金支援するなど大企業がその将来性に期待をかけている。

 

一方で同じ日の別の記事では、トヨタ自動車が、次世代エコカーの本命と目される燃料電池車(FCV)を700万円程度で今年度内に発売すると発表した。ホンダも来年中に発売する予定で、2社が販売に乗り出すことで、排ガスがゼロという「究極のエコカー」がいよいよ実用化段階に入る。FCVは、水素と酸素の化学反応で発生した電気でモーターを回す仕組みで、排出は水のみ。クリーンエネルギーの推進を目指す政府も普及に向けて全面的にバックアップしている。1回の充電で走行距離が250キロ程度の電気自動車(EV)に対し、700キロ以上のFCVは走行に不安がなく、次世代環境車の本命である。

しかし、燃料の水素を充填する「水素ステーション」は、国が建設にかかる費用の最大半額を補助する仕組みがあるにもかかわらず、計画中のものも含め全国約30か所にとどまり、トヨタがFCV発売を正式に決めたが、インフラ整備が進まず普及が遅れたEVと同様に、販売が伸び悩む懸念も拭えない。そして、価格も700万円台とまだまだ高く、普及には一層のコストダウンが求められる。

 

ガソリンや軽油以外の燃料で自動車が走るということは、もうずいぶん以前から語られてきたし、徐々に実現しているが、この分だと、自分で購入するということにはならないまでも、生きているうちに次世代エコカーに乗れる可能性は出てきたようだ。

森の中に暮し、以前よりも徒歩や自転車に乗ることが増えている私は、いつの間にか脚力も強化され、ついにマラソン大会に出場するに至っている。もうそんなに遠くへ行くこともないが、やはり、次世代エコカーには興味がある。先月には、「次世代のエコカー天然ガス自動車」(井手秀樹著、エネルギーフォーラム新書)を読んだばかり。

この本のカバーには、天然ガスをめぐる二つの革命!とあり、21世紀は「シェールガス」と「天然ガス自動車」の時代、と書かれてあった。20年後に、もしかするとガソリンで走る車はなくなっているかもしれない。脚力のついた私は、ひょっとするとその時代を垣間見る可能性を秘めている・・・かもしれない?・・・のだが?

 

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行動は必ずしも幸福をもたらすわけではないが、行動なくして幸福はない。

走り終わり完走証を手にした喜びは言うまでもないが、私の喜びはほかにも山ほどあった。

この歳になって、わが娘といっしょに走るという、思いもかけぬ出来事が起こったことも大きな喜びに違いないが、それにもましてうれしかったのは周りの人々の心からの声援だった。スウィートグラスのTシャツに寄せ書きしてくれたスタッフ一人ひとりの顔が目に浮かぶ。雨にもかかわらず駆けつけてくれたブロ友のみんなに心よりお礼を言いたい。

また、忙しい日曜日に休んで臨んだマラソン参加だが、快く笑顔で送り出してくれた同僚のみんなにも感謝している。事前に応援場所をチェックしてくれ、夫婦で応援してくれたHさん、ありがとう。当日の朝立ち寄ったセーブオンで、Tシャツに「ガンバレ」と書いてくれたオバチャン、ありがとう。

 

次回はハーフマラソンですか?・・・次は嬬恋のキャベツマラソン?・・私も走りたくなった・・・などなど、いろいろな話が耳に飛び込んでくるが、キャベツマラソンは7月6日開催で、幸いに?すでにエントリーは締め切られている。

人生は自分の物語、自分が主人公、自分の心に正直に生きることが大切。

46分30秒という短い時間に、大きな大きなたくさんの宝物を得た。この貴重な体験を明日からの生活に生かしたい。

そして、10月26日第5回サンスポ軽井沢リゾートマラソンという文字が気にかかる。



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4km手前に給水所が見えた、というよりも二人の応援団が声援をおくってくれるのがはっきりと見えてきた。Oさんは乾いたタオルと500mlのペットボトルをそのまま渡してくれて、飲み終わるまで一緒に走るという。私は手にしたタオルで眼鏡を拭き、ペットボトルのスポーツドリンクを一口飲んだ。娘も一口飲みすぐにOさんに返却する。500mlの重量をずしりと感じた瞬間は、思わず笑ってしまったのだったが、愛情のこもった声援に心があたたまる。あとでこの話をすると、Y君はそれでタイムが30秒遅れたのですね、と言ってほほ笑んだ。左折して4km地点の橋を渡り、いよいよ難関の急斜面600mにさしかかった。
 
「小幅の方がいいよ」娘の声。
「姿勢が悪いよ」・・・娘の方を向く余裕もない。
「姿勢が悪いと、かえって疲れやすい」という娘の声に姿勢を正す。
ゆっくりではあるが歩かずに走り続ける。
「300m走ったよ」という娘の声に、今日は行けそうだと感じる。
そして、いつの間にか急斜面を登り切っていた。
 
進む先々で知らない人たちの声援を受けながら、大通りに出ると、一人の男性が「やっときたね」という。おもちゃ王国のツリーハウスを手伝ったとき一緒だったNさんだった。
手を挙げて声援にこたえ、緩やかな登り道を進むと、また同僚のHさん夫妻が待っていた。
ここで登りは終わりだよ、頑張れと励ます。もう残り7~800mに違いないと思ったとたんに娘はスパートする。みるみる姿が遠くなっていくが、私には追いかける力はなかった。娘には余裕がありすぎたのか、やはり若さには勝てなかった。ゴール前でMッキーさんの姿を確認。ここで私もラストスパート・・といってもさしてスピードは変わらない。手を上げる娘夫婦に応えて私は両手をあげてゴールした。無事完走である。
 
記録46分30秒。男性総合117位、男子50歳以上53位という成績。総合順位は、161人中の117位。男子50歳以上は、72人中の53位であるが、今回はあくまで完走が目標なので、自分では46分30秒の新記録、上出来である。
ちなみに娘は46分07秒、婿殿は38分45秒だった。
 


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北軽井沢マラソンは昭和60年、250人の参加で始まった。その後徐々に参加者が増え、平成21年に行われた26回大会では、参加者3879人を数えている。以来、口蹄疫の問題で4年間中止されていたが今年5年ぶりに復活し、1112人の参加者が集まった。

 

私は、なぜか「浅間高原の風になろう」というパンフレットの呼びかけにあっけなく反応し、単純にすぐ「走ろう!」と思った。そうしたら、なんと横浜に暮らす娘夫婦が「私たちも走る」という。思わず頬をつねりたくなるほどの驚きだったが、マラソン大会に出るということが思わぬ展開となった。人生はこれだから面白い、そして楽しいのだ。

 

しかし、大会前日の午後から天気は予報通り雨となった。しかも、一時はバケツをひっくり返したようなという表現を上回るほどの強い雨だった。娘夫婦との楽しい食事に例の赤い飲み物の効き目もあっていつものようにあっという間に健やかな眠りの中へ突入し、雨の音も遠ざかって行った。しかし午前3時ごろ目が覚め、トイレへ行った後に眼が冴えて眠れない。寝不足はまずいぞ、と思いながら必死に眠ろうとしたが興奮した頭が眠りを寄せ付けないという、私の小学生のころからの悪い癖が出てしまった。遠足の前とか運動会の前夜などなかなか眠れないのだ。私はもう一度トイレに行き、難しくて中断していたキケローの「老人について」を読み始めた。いつもなら2ページくらい読んでいるうちに眠りがやってくるが、その日に限ってすらすらと理解でき、眠りはこない。しかし、まいったな、と思いながら雨音に耳を傾けているうちにいつの間にか眠ったようだ。

 

8時の開会式に出るつもりでいたので、6時半頃には起きるつもりだったが、妻に起こされたのは7時だった。降りしきる雨に開会式はパスすることにした。前日受付を済ませていたのは正解だった。9時少し前に着くように車を走らせていると、携帯が鳴る。応援団の嬬恋の妹M子とOさんが姿を現さない私にしびれを切らせて電話してきた。会場グランドのすぐ近くにある行きつけの「アンザイ理髪店」に駐車をお願いして歩いていると、9時にハーフマラソンがスタートすると交通規制で給水ポイントへ帰れなくなるという二人にせかされて記念撮影。会場へ着くとYさん、Bさん夫妻が待ち構えていて記念撮影。

おかげで緊張する暇はない。予定通り9時15分長野原町長のスタートの号砲が鳴った。

 

私たち3人は並ぶようにグランドを後にしたが、その後、婿殿はすぐにスピードをあげて姿が見えなくなった。娘と並走しながら1kmの表示を通過した。幸いに雨は小雨になり、ほとんど走る邪魔にはならなかった。しばらく行くと、同僚のHさん夫妻がカメラを構えて待ち構えていた。私は両手をあげて声援に応える。足取りも軽く余裕があった。娘は、スマホを腕につけてラップを報告する。2kmの給水所で紙コップを受け取り一口飲んだ水はやはりありがたかった。ここは、同僚Y嬢の自宅前、まさかの気付け薬を期待していたわけではないが、お父さんの姿を探したけれど見当たらなかった。コースは栗平のアサイマートを左折して県道54号と別れを告げ、閑静な町道へはいる。

3kmまで7分台、6分台後半の順調な走りは娘の報告で分かる。心配していた娘には余裕がある。どうやら、私の娘に対する心配は取り越し苦労のようだった。そして、悪天候にもかかわらず意外と私の足取りも軽かった。しかし、前方を走る名も知らぬランナーの姿は、お世辞にもかっこいいとは言えないが、それを追い越す力は私にはなかった。

いよいよM子とOさんの待つ2か所目の給水ポイントが近づいている。

 

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