北軽井沢 虹の街 爽やかな風

「最後は緑豊かな自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻に従う形で移住生活を始めた場所は、活火山浅間山北麓に位置する標高1100mを超える厳寒の地。 北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場で働きながら最後の人生を謳歌している。一人の老人が経験する出来事をそのまま書き記していきたい。

2014年07月

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夏休みになった。うっとうしい梅雨も去って行った。これから8月末までの間、勤務先のスウィートグラスは多忙となり、休みも週に一度くらいで、体力を試される時期である。

 

話はぜんぜん違う方へ飛ぶが、昨年のこの時期の体重を見ると52~53kgあったのに、今では48kgと4~5キロ痩せている。したがってベルトの穴が一つ二つ短い方に移動してしまった。もともと体は小さい方でSサイズなのだが、Sサイズでも袖が長い。

妻も41~42kgでウエストは大きな手なら一握りの感じで、自分でもこれ以上痩せると危険だと思っているようだ。今日は買い物ついでに「お直し工房NAKAMURA」へ行った。妻は痩せて着られなくなったが、気に入っていて手放せなかった服を詰めてもらうことを思いついたようだ。同僚のMさんから得た情報で、その店は新しくなった中軽井沢の駅舎のなかにある。駅東側に4軒くらいの小さな店が並んでいてその真ん中の店だった。

 

妻が店主と話している間、何気なく外を見ると何やら騒々しい。何かテレビの撮影のような感じである。一番端にある「駄菓子屋」のなかにタレントらしき人物がいるらしい。

私は店から出てくる人物をスマホでパチパチと撮っていたが、「すみません、写真はとらないでください」と若い女性スタッフが口をとんがらせて言う。あ、そう・・私は簡単に引き下がったがもう手遅れで何枚かの写真は撮ったあとである。タレントはあの徳光和夫と野々村君。もう一人名前は忘れたが群馬出身の女性タレント。どうやら路線バスに乗ってあちこち回っている番組だという。それにしても、私のスマホに捕まったトクミツさん、何を食べているのか病気なのか、フクフクとしていてだらしなく見える。もしもダイエットに成功したら、きっと服を直さなければならないだろう・・・なんて、余計な心配をしてしまった。

 

妻は思ったより安価で直しができることに大満足。とっておいた昔の服をすこしずつ直して着ると話している。私もダボダボになったズボンや長すぎる袖を直してもらうことにしよう。この店の女性店主はきっといい腕をしているに違いないと妻はご機嫌であった。

しばらくして、トクミツさんノノムラ君たちを乗せたバスが立ち去り、辺りは静寂をとりもどした。調べてみるとトクミツさんは私より二つ上だが、まだまだ元気に重たい体に鞭打って?頑張っているに違いない・・・と思った。

 
 

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先月、つつじの湯へ行ったとき見つけて、北軽井沢マラソンに参加した娘に持たせた「キャベ酢」が新聞の記事になっていた。日本一の生産量を誇る嬬恋産のキャベツを使用したキャベツ酢は、県農業技術センター、嬬恋村、農作物加工会社の共同開発で完成した。

その商品名が「キャベ酢」。嬬恋産キャベツの消費拡大を目的に開発されたが、当初は、キャベツ独特の青臭さが課題だったという。しかし、別の香りとうまく調和させることで、キャベツの良い風味のみ残すことに成功した。120ミリリットル入りで450円。

村内の入浴施設「つつじの湯」や「湖畔の湯」などで販売されている。

問い合わせは、嬬恋村農林振興課(0279―96-1256)

 

今日つつじの湯へ行ったがすでに売り切れで、8月にならないと入荷しないという。新聞の記事やテレビなどで報道されると、その時はあっというまに商品が消えてしまう。

下手なコマーシャルよりも大きな効果があることはよく知られている事実だが、「キャベ酢」の人気が長続きすることを期待しよう。

 

先日同僚のH夫妻から、畑で採れた野菜をいただいたが、今朝はまた同僚のY夫人がたくさんいただいたからと言ってレタスを持ってきてくれた。そして午後にはまたHさんが、キャベツは?と言ってやってきた。私はつつじの湯へ行っていたので会わなかったが、妻は一つだけいただいたと言ってにっこり。実はキャベツはこれで3つ目なのだ。

ここにいると美味しい新鮮なキャベツがどこからとなく飛んでくる。ありがたいがなかなか消費しきれない。なんとかキャベツを使ったレシピを勉強しなくてはと、ありがたい悩みにも心が和むのであった。

 
 
 
 

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ブロ友の記事を読んで、私も「ハチ激取れ」なるものを買ってみた。ハチが大好きな「果汁と樹液の香り」がブレンドされている特殊誘引液は、食品原料のみで作られている。ハチはその誘引液に誘われて、入りやすく出にくいワン・ウエイ容器に進入し、身動きが取れなくなって液の中に落下、おぼれてノックアウトという説明文がある。庭木に吊るすだけでハチを捕獲できるというので、早速、木に吊るしてみた。せっかちな私は、翌日になってもハチがいないので、吊るす場所が悪かったと思い、場所を変えてみた。それでも、なかなかハチが入る気配はなく、「なんだ、インチキヤロー」とうそぶいてあきらめていたが、数日後、妻が「ハチ激取れ!」というので、急いで見に行ってみたら、大きなスズメバチが何匹も入っているのにニンマリ。約一か月間有効というが、これはもう入りきれないほどになってしまう。2セットで980円?だったか、このお値段は安い?

しかし、こんなもので済むほどハチは愚かではないだろう。この自然の中で暮らす限り、いろいろな危険がつきまとう。まあ脱法ハーブでいつ暴走してくるかわからない車がうようよ走り回っている都会よりは安全かもしれないが・・・・。

 


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台風8号は日本列島に大きな傷跡を残し、温帯低気圧となって北へと去って行った。

勤務先のスウィートグラスでは、台風に備えて様々な対策をしたが、幸いにもそれは徒労に終わった。台風一過今日は朝から晴れわたり久しぶりに青空を見たような気がする。

 

嵐山光三郎著「年をとったら驚いた」を読んでいて今年96歳になる現役日本画家・堀文子を知った。49歳のとき、神奈川県大磯の旧家をアトリエにして、庭に泰山木、木蓮、椿、もみじ、ツツジ、京都の枝垂れ桜を植えて日本庭園を造ったが、一所不住の性分が頭をもたげ、60歳になると軽井沢にアトリエを持ち、念願の「山中独居」の生活をスタートさせた。日本人がバブル景気に浮かれるのに嫌気がさし、70歳を目前として日本脱出をはたしイタリアへ渡り、76歳でアマゾン熱帯雨林を旅し、81歳のとき、「幻の高山植物」であるブルーポピーを求めてネパールからヒマラヤの5000メートルの岩山までヘリで飛んだ。作家・村松友視著「極上の流転」の表紙カバーの絵は、そのブルーポピーの花が描かれているという。

 

「男はね、金ピカの衣とボロ布の両方を平気で着る度胸があって、両方とも似合わなくちゃ駄目」と言ったという96歳現役女流画家の伝記が読んでみたくなった。

私はもうすぐ71歳になるが、現在、毎日が楽しくて仕方ない。何をしても楽しいのだ。

人生は自分が主役の物語。自分の人生は自分のもの、生かすも殺すも自分しだい。この浅間高原を終の棲家と決めたからには、ここで大いに楽しむことにした。薪割りも雪掻きも楽しい。日本一の高原野菜もうまい。水も空気もうまい。青い空、白い雲は最高だ。

 
 
 

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嵐山光三郎(あらしやまこうざぶろう)という作家がいる。1942年生まれだから私より1年先輩である。会ったことはないがずいぶん前にテレビで見たことがあり、顔は知っている。いつか嵐山光三郎の本を読んでみようと思っていたが先日、「年をとったら驚いた!」という本が出たので買ってみた。同じ世代なので、どこか似たところがあり、経験したことも感動したことも同じ時代の思い出なので、ついつい引き込まれていく。

 

「マヨネーズに恋して」というエッセーが面白い。

大学一年生の時、青山二丁目のお嬢様の家へ呼ばれた。レンガ造りの塀に囲まれた豪邸で、芝生の庭があった。お嬢様の親は、自分の娘と同じクラスの学生がどんなレベルか、という興味があったらしい。男子と女子がふたりずつ選ばれて訪問し、私はそのひとりだった。  

庭のテラスに座ると、コカ・コーラとポテトチップスが出てきた。コカ・コーラを飲むのは初めてだった。そういう飲料があることは映画や雑誌で知っていたが、実際に飲んだことがない。緑色のびんにつめられたコカ・コーラが、シャワシャワと音を立ててコップにつがれると、アメリカ人になった気分だった。わあ、なんて贅沢なんだろう、お嬢様はアメリカな生活をおくっている、と仰天した。ポテトチップスも貴重品で、お嬢様は、ママ、マヨネーズを持ってきてちょうだい、といって、チューブから出したマヨネーズをかけた。

マヨネーズ!そんなものは見たこともなかった。チューブの先から、薄黄色のマヨネーズが、天女の舞いのようにふんわりと出てきた。ポテトチップスにマヨネーズをちょっとかけるとおいしいのよ。カリカリと音をたててお嬢様はポテトチップスを食べた。

その後コカ・コーラとマヨネーズは、あっというまに町に出廻るようになった。半世紀前の話である。

 

(半世紀前、私もコカ・コーラとマヨネーズに驚いているが、青山二丁目のお嬢様には出会っていない)

 

こんな上流階級の娘とはつきあいきれないと思って、そのお嬢様とはそれからは深い仲にはならなかったが、同行した田舎者のM君はお嬢様にあこがれてしまって、酔った勢いでお嬢様の家の塀をよじ登って、父親に追い出された。M君のことをフビンに思ったぼくは、神社の境内へM君をさそって、五人の男友達と一緒にトリスウイスキーを飲んだ。つまみは300グラムのキューピーマヨネーズだった。

 

(そのころ私も、友達と下宿の部屋で、社会に出たらウイスキーくらい飲めないと、といってトリスウイスキーを買ってきて試したことがある)

 

M君よ、お前が恋したのは青山のお嬢様じゃあない。お嬢様の家で出されたマヨネーズなんだよ。芝生の庭で食べたポテトチップスにかけられたマヨネーズに恋したのだ。ほのかに甘くてすっぱいマヨネーズに誘惑されたんだ。国粋主義者のおまえが、外国の味にはまってどうするんだ。うんうんとうなずきながらM君はマヨネーズのチューブをちゅうちゅうすすってから、ウイスキーを飲んだのだった。

 

           中略

 

青山二丁目のマヨネーズのお嬢様は、いまはどうしているのだろうか。「わたしは女きょうだいの姉ですから、結婚する相手は、我が家の養子になっていただきます」といった。

お嬢様に恋して塀をよじ登ったM君は、「立派な家の養子になりたい」と願ったのだろうか。

M君は鉄の下駄をはいて歩く空手部の猛者であった。

 

(同じころ、うじうじしてなかなかにやけない友人に、強制的にラブレターを書かせた思い出がよみがえった。彼は学校で一番の番長だった)

 

           中略

 

ストレートでウイスキーを飲むと、喉がカッと熱くなって、なにかつまみがほしくなる。

それで、キューピーからしマヨネーズのチューブをほんの少しすする。からしの味がきいたマヨネーズは舌をソフトにキックして、ウイスキーの香りにそっと寄りそいます。

 

(喉がカッと熱くなった思い出は忘れられないが、舌をソフトにキックするという表現は私にはできない)

 

若い頃、私はもっぱらビールとウイスキーを飲んでいたが、今ではポリフェノールが体にいいという赤ワインを好んで飲んでいる。先日、ブロ友のTさん夫妻を招き、家で赤ワインを少々・・・のつもりが、楽しい雰囲気についつい度が過ぎて、へべれけになり、翌日の仕事を欠勤するはめになった。もはやわが胃袋も若い時の様にはいかないと、反省しきりである。まあ、何度も血をはいて倒れても、まだまだマヨネーズのチューブで飲み続けている嵐山光三郎は、どんな死に方をするんだろうと、ニタニタしながら本のページをめくっている。

 
 
 
 

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