北軽井沢 虹の街 爽やかな風

「最後は緑豊かな自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻に従う形で移住生活を始めた場所は、活火山浅間山北麓に位置する標高1100mを超える厳寒の地。 北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場で働きながら最後の人生を謳歌している。一人の老人が経験する出来事をそのまま書き記していきたい。

2018年01月

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

人は誰も皆、毎日未知の世界に突入している。二年前に生まれた私の孫は、生まれて以来、毎日が未知の世界だ。先日の大雪も初めて見る雪。親子で雪遊びをしていたが、どんな気持ちで雪を見ていただろう。娘もまた母親としての未知の世界を毎日過ごしている。

ここまで生きてきた私も、70歳を超えて今年はいよいよ後期高齢者と呼ばれる75歳になる。これもまた夢のような未知の世界への突入である。先日、仕事場の若い上司とちょっとしたトラブルがあった。それは私が仕掛けたものだったが、それも未知の世界と関係がある。75歳から先がどうなるのか私にもわからない。未知の世界だからに違いないが、それを一般的には未来というのだろう。未来のことは誰もわからない。それだから何事も面白い。会社としても、社長の方針で定年を設けず元気なうちは働いてほしいというからには、その働き方を考えなければならないのは当然の問題だろう。同僚も続々と70代になり60代の方が少なくなった。その先頭を行く私が今問題になっているらしい。

休みが多くなったので、年寄り扱いするなと抗議したのだが、何らかの基準を作っていく上でいろいろと悩んでいるという。そういういたわりの話は80歳からにしてくれという私に困った様子であった。施設の掃除という仕事も立派な仕事だが、どうしても若い人は務まらない職種。元気な老人が頑張らなければならないという現状を打破する方策をいろいろと考えているのは当然だと思った。この辺で頑固爺さんも少しはおとなしくしなくてはという反省もあった。先日の不調の原因はこの話だったのだ。

しかし、考えてみれば贅沢なはなしである。75になっても80になってもこうして働ける場所があることは稀だ。感謝しなくてはなるまい。昨年の嬬恋村の健康維持向上プログラムに参加して以来、腹筋、背筋、腕立て伏せ、つま先上がりなどを出勤前に30回ずつ、その他の運動も加えて25分くらい行っている。今日で248日目になった。

しっかり体力を維持しながら期待に応えなければと考えている。

同僚たちも私が何時くたばるか興味津々のようなので、そうそう簡単にくたばるわけにはいくまい。未知の世界に何が起こるか、こちらも興味津々なのである。




イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

昨日のタイトル「不調」は、また得意の?舌足らずで皆さまには大変ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。元気ですのでご安心ください。

不調は「会長は快調、好調は校長、不調は婦長」などとダジャレを言い放ついつもの人の付け入るスキを作ってしまいましたが、ちょっとした気分の不調で、今日それも解決したので、絶好調です(笑)ここからアスパラ―3に入ります。

 

私たち5人の行進は続いた。私はジュンジュンのすぐ後ろに位置し、他の3人がそれに続いたが、後ろを振り向くことがなかったのでその順番はわからない。ある場所に来て私は立ち止まり、後進する4人を写そうとした。前を行く仲間が手を振ってこたえる。

昔から「同じ釜の飯を食った仲」というのがあるが、一緒に行動するという仲間意識はすぐに芽生え、もうお互いに兄弟のような気持ちになる。もちろん年齢を超えてそうなる、と付け加えておこう。70歳の時、私は「北軽井沢マラソン」を走ったが、タケさんは仕事を休んで応援してくれた一人だ。三歳年下で、職場でも後輩になるが、いつも兄のように私をかばってくれる、良き友だ。しばらく行くと、「ほら、あそこに小浅間が見えてきたでしょう」というジュンジュンの指さす先に、かすかに小浅間の形が現れてきた。その時、小浅間の上の方から太陽の光が雲を通して見えてきた。ジュンジュンは一枚の写真を撮りだして、この写真がここから見た夕焼けの浅間山です、と説明する。

そして、少し待つと晴れて浅間山が見えるかもしれないといい、待つあいだにマイマイちゃんが紙芝居をお見せしますという。まいまいちゃんは、それでは絵のない紙芝居を始めますと言ってゆっくりと語り始めた。むかしむかし、浅間山には赤鬼がいました、という出だしの物語は、後日詳しく紹介するが、少し回復した天候の中、大自然の雪の上で聴く物語はとても印象的だった。しかし、徐々に麓の方から見え始めた浅間山は、ついに頂上まで雲に覆われたままで見ることはできなかった。

しかたなく前に進むことにしたが、また風が強くなり、地吹雪となって雪を吹き飛ばす。

速く進むわけにいかないので手袋をしていても手が冷たい。ジュンジュンは前方に見えてきた建物を指差して、あの建物の近くでランチにしましょうという。はじめは建物の近くの林を風よけにして食べる予定だったが風が強いので、建物の中に入ろうということになった。このスレート葺きの建物はその昔、ここでオートレースが行われていた時の名残でオートバイの倉庫だったという。錆びついた扉をこじ開けて何とか中に入った。

ルオムの柄の生地でできた袋には、あったかいスープとパン、そしてチーズケーキが入っていた。冷え切った身体に暖かいスープが胃袋に落ちていく、なんと美味しいスープだろう。手がかじかんでなかなかとりだせない時も、敷物を広げて座らせてくれるタケさんがありがたかった。古い鉄骨造の小屋の中で、5人の友情はかたく結ばれたに違いない。

スノーシューツアーは無事終わった。さっきの場所で浅間山を見てランチを食べると、もう近くに迎えの車が来ている場所までは近い。最後の有刺鉄線の門を開いて外へ出ると、迎えの車は待っていた。集合場所に帰っての暖かいコーヒーも、楽しいおしゃべりも忘れられない思い出となった。記念に撮った写真にある牧草ロールに描かれた絵は、美術大学を出ているまいまいちゃんが描いたという。この牧草ロールは一つが300kgあるそうだ。牛は毎日これを30kg食べるという。そして毎日40kgのウンチをするという。

放牧地はウンチの山ができるらしい。さまざまな知らなかったことがわかり、いい勉強にもなった。私は今度、家人を連れて行こうと思っている。



 

イメージ 1

イメージ 2

好天に恵まれ浅間山も青空も美しく引き込まれるようだった。

ちょっと不調で気分がすぐれず、アスパラー3は明日書きます。




イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

アップダウンのある道を進むが、至る所に有刺鉄線が張り巡らされている大草原のところどころに松林が残っている。そのほとんどがカラマツとアカマツだ。しばらく進んでいくとマツの幹に穴が開けられているところに行き当たり、さっそくジュンジュンの説明が始まる。それはキツツキのあけた穴で、ここではアカゲラ、アオゲラ、コゲラの3種類のキツツキがいる。そこでわたしはこの地へ移住して来てからの知識を披露した。キツツキの穴はゴジュウカラが自分の巣に利用するが、穴が大きいので入り口だけを狭くする。それはまるで左官工事のような方法で、周囲をぐるりとセメントのようなもので縁取りして入口を小さくして自分の身体に合わせて仕上げていくのだ。カラ類の鳥はシジュウカラ、ゴジュウカラ、コガラ、ヤマガラ、ヒガラといるが、ゴジュウカラが一番身体が大きくシジュウカラの50倍頭がいい。一番小さいのはヒガラで頭のテッペンにトサカのような羽がついているのが特徴・・・等々得意になってしゃべってしまった。

次の場所ではマツの幹に大きく削られている跡を発見。ジュンジュンの説明では、それは雄の鹿が角で削った跡で、その後何か所も発見できた。要所要所にカメラを設置して調べた結果、ここには約1000頭の鹿が生息しているという。狩猟期には毎年100頭くらい駆除されているらしい。ジュンジュンは持参した本物の鹿の角をだして説明してくれた。そして前進していくと有刺鉄線に鹿の角がぶら下がっていた。鹿は春になると自然に角がとれて、また新しい角が生えてくるらしい。角を持ってみるとずっしりと重い。

風が強くなった。曇り空に強い風。草原に積もった雪は強い風で吹き飛ばされるために、高く雪が積もることはないそうだ。数年前。私がパノラマラインで経験した地吹雪ほどではないが、マツ林のない場所ではかなりその影響を受ける。一時だったが前が見えないような地吹雪となった。手の指先が冷たくて痛い。そうそうポケットからスマホを取り出すわけにもいかなかった。それにしてもこの大草原の広さは圧巻であった。鹿やキツネ、ウサギなどの足跡を楽しみながら吹雪の中を進んで行くと、大きな2m角のボックスカルバートに出会った。これは浅間山の噴火に備えて置かれたもので、噴石から身を護るために置かれているという。その置かれた壁側の方向が浅間山だとわかったが、この吹雪の中で浅間山を見ることはできなかった。


つづく



イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

前にも書いたがアスパラは浅間スノーパラダイスのこと。この冬は今まで雪がなく、昨日はこの冬最初のスノーパラダイスになった。参加者は私とタケさん共に70代である。そのほかにもう一人昨年入社の若い女性ジンちゃん。ガイドはジュンジュン、サブガイドはやはり昨年入社した女性のマイマイちゃん。このメンバーに二人の爺さんはご満悦であった。アスパラはもう4年くらい前から実施されているが、今年からその内容が大きく変わっている。その第一は、約60年間閉ざされた地へ足を踏み入れるということだ。

800ヘクタールの牧場の中を約5kmにわたりスノーシューを履いて進む何ともスリリングな行進だ。800ヘクタールは東京ドーム170個分の広さである。私の住む別荘地プリンスランドが東京ドーム70個分だというので、その中を歩き回った私には、なんとなくその広さを想像できるが、普通なら800ヘクタールは想像がつかないだろう。

浅間牧場は群馬県の運営する牧場で、夏場には600頭、冬でも300頭の乳牛の子供を預かり、成長して人工授精させ妊娠させて飼い主の下に返すという事業をしているという。その後出産すると乳が出るようになり乳牛として活躍することになる。主にホルスタインを飼育しているそうだが、近く設備が増えて冬でも600頭を預かる能力ができるそうだ。この広大な浅間牧場の中はこれまで関係者以外はだれも立ち入っていなかったが、長い交渉の末やっと今年から入れる許可が出たという。しかも初めてスノーシューで入るのは私たちが初だというではないか。なんという幸運であろうか。

しかし、当日は氷点下8℃くらいはあっただろう。それに時折吹き荒れる強風に悩まされることになる。午前11時12人乗りくらいの小さなマイクロに乗って出発点である浅間牧場の事務所あたりに到着した。出発前に石灰の入った箱に足を入れて靴底を消毒する。

いよいよスノーシューを履くが、私はスノーシューは二度目である。最初はここに来て、プリンスランド内にあるゴルフ場を歩いたことがあった。その時は自分の履いたスノーシューを自分の足で踏んでひっくり返った苦い思い出がある。家人と一緒だったので、いまでもそのことを笑われている。今回はそんなへまはしないぞと、ジュンジュンの説明をしっかりと聞いていた。到着した場所では目の前に開ける大草原のすぐ向こうに浅間山が望めるという。曇り空の中、到着する頃には晴れて浅間山が見えるのを期待しましょうというジュンジュンの声は明るかった。ほぼ私と同じ時期に入社したジュンジュンとはもうかなり古い付き合いがある。立派な青年に成長したジュンジュンに私は嬉しさがこみあげてくる。そして寒空の中いよいよ行進が始まった。

つづく

 
 

↑このページのトップヘ