北軽井沢 虹の街 爽やかな風

「最後は緑豊かな自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻に従う形で移住生活を始めた場所は、活火山浅間山北麓に位置する標高1100mを超える厳寒の地。 北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場で働きながら最後の人生を謳歌している。一人の老人が経験する出来事をそのまま書き記していきたい。

2018年02月

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2月も今日で終わった。3月になれば春という感じもずいぶん顕著になるだろう。

春は「別れ」と「出会い」の時。人は自分の予測通りに運命を操ることはできないが、その運命はある人との出会いが大きな影響を与えることが多い。先日の「思い出の文章」にも書いたが、緑豊かな自然の中で暮らしたいという家人についてきた私だが、いつの間にか敢然と先頭を走っている。ここではたくさんの出会いがあった。まだまだこの先出会いはたくさんありそうだ。別れはあったか?と聞かれればそれもかなりあった。出会いと別れを繰り返しながら人は成長していくもののようだ。

今夜から明日の朝まで雪予報だが、はたして積もるのだろうか?




 

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人生100年時代と言われて久しいが、平均寿命は今後もさらに伸びて、21世紀生まれの世代は2人に1人が100歳を超えるという試算もあるらしい。人生100年時代というのは、大げさでも理想論でもなく、今や当たり前の現実になってきている。
タイトルに書いたアラハンとは、アラウンド・ハンドレッドのことで100歳前後の人たちのことをいうらしい。例えば墨の抽象画で知られる篠田桃紅(104歳)の著書「103歳になってわかったこと」はベストセラーになり、最新刊の「桃紅105歳好きなものと生きる」も好評だという。今年、後期高齢者になったと言っても75歳は、100歳からみればまだまだ鼻垂れ小僧に違いない。昔なら、40、50は鼻垂れ小僧だったのに、である。この度、高齢者が働いている実際の様子を30~40人集めた本が企画され、その中の一人に選ばれ原稿を提出したが、リタイア後の働き方は様々あり、一人ひとり事情も違い面白いだろう。実際に、定年後も働き続けている人を私もたくさん知っている。しかし、100歳を超えてもなお活躍している人には頭が下がる思いだ。まだまだ先を見て生きていかねばなるまい。
春の雪解けが始まったと言いたいが、今年はさっぱりわからない。ジェロニモの滝のしぶきが飛んで凍りついている様は、まだまだ寒さを感じさせる。
 
 

原稿がもう少しで書き終わります。

明日からまた記事をアップします。

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曇り空だったが、浅間山は見えていた。この冬は浅間高原に雪が降らない不思議な現象が起きている。そのかわりかどうかわからないが気温が低く、寒い日が多い。

今日の写真ではっきりわかるように、浅間山の雪も少ない。特に今年は頂上付近に黒い地肌が目立つ。あの部分だけ雪が降ってもすぐに溶けるのか黒い地肌ができるのだ。

3月もすぐ目の前までやってきている。今年の浅間山が見せる雪解けの模様もどうやら変化がありそうだ。これから浅間山から目が離せない。




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100%完ぺきではなかったが、キラキラと晴れた朝、出勤できるのは嬉しい。

筋トレを省いて少し早めに出発し、絶景ポイントへ急いだ。浅間高原ブルーの空に浅間ホワイトはほほ笑んでいた。土曜日なので雪上テントもいくつかあった。昨日からの泊り客に違いない。こういう景色を見るとたまらなくうれしい。

今日は何とか支障なく仕事を終えることができた。

 

ところで、現在本に載せる原稿を執筆中なので、ブログ記事が少々お粗末になるかもしれないと思っています。ご了承ください。

 
 

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