北軽井沢 虹の街 爽やかな風

「最後は緑豊かな自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻に従う形で移住生活を始めた場所は、活火山浅間山北麓に位置する標高1100mを超える厳寒の地。 北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場で働きながら最後の人生を謳歌している。一人の老人が経験する出来事をそのまま書き記していきたい。

2018年05月

イメージ 1

イメージ 2
イメージ 3

イメージ 4

現在住んでいる建物は中古を購入したので、今までもいろいろと自分でできるメンテはやってきたが、やはり天才的な器用さを持ってもできないと判断して、一部壁の修理を大工さんに依頼した。その後の塗装は自分で行った。雨が屋根からはねて壁に当たる部分が木材を腐食させる原因なので跳ね返る部分は鉄板にしてもらった。窓の周りの白塗りの枠も劣化してしまい取り換えた。また、南側の一階建て部分の屋根は自分で塗装することにして、今日から苔落しの作業に入った。この屋根は勾配が緩く安全なので自分でも施工できると判断した。スウィートグラスで木の皮むきをやった時使用した道具がコメリにあったので買っておいたが、思い通り威力がある。屋根をしっかり掃除して塗装すれば、またしばらくは大丈夫だろう。雨が降り始めたので続きは明日以降になる。

まだまだ朝晩は寒い。そろそろ梅雨が近くなってきた。梅雨の時期にはまだ暖炉を焚く日がある。寒いというより、湿気を取り除く目的もあるのだ。

浅間高原で暮らすには、いろいろと特徴的なこともある。

 

イメージ 1



イメージ 2

イメージ 3

この地に移住してきたとき、私はまったくの白紙状態だった。誰一人知人もいない、地理もわからない、この地の様子もわからなかった。つまりゼロからの出発だった。

65年間という人生の経験はあったが、ここでは何もわからない生まれたてのほやほやだった。現在週に一回買い物に出かけているスーパーマーケットのツルヤさえ知らなかったのだ。そして10年が経った。やっと10歳になった。小学校5年生だ。しかし、そこは人生経験がものを言って飛び級で高校生くらいの知識を得たが、まだまだ知らないことが多い。自然の中で暮らし、学んだことは多いが、初めの頃は驚くことも多かった。

冬、近所の屋根から雪が雪崩のように滑り落ち、ドサッという大きな音に驚き身震いしたこともある。秋、空から降ってくるどんぐりの実が出す音。それは落ちる場所によってさまざまな違う音を出す。これが何だかわからなかった。春、芽を出したコゴミが後にシダとなることも知らなかったし、フキノトウがどんどん大きくなって花を咲かせることも知らなかった。雪道の運転は経験があったのですぐに対応できたが、ホースで洗車していて出てくる水がたちまち凍ってしまう経験も初めてだった。春、エゾハルゼミの合唱に驚いた。最初は蝉とカエルが鳴いていると思った。夏、木漏れ日の中で心地よい涼しさを経験したが、冬の氷点下20度は全くの未知の世界。そうしている間にここに生息する植物をたくさん知った。小鳥たちの種類や鳴き声も覚えた。そういう点では自然に興味を持たない地元の人を追い抜いた面はある。そして10年を迎えた今年はついに後期高齢者となり結婚50周年も迎えた。ブログのおかげと働く場所を得たことで多くの知人、友人ができた。まったく新しい二度目の人生を生きることができている。ジオパークを学んだおかげで、それをもっともっと知りたいという意欲もわいてきた。来月は同僚のM君が黒斑山に連れて行ってくれる。浅間山という火山は黒斑山の山体崩壊に始まることを知って、どうしても黒斑山へ登ってみたくなった。10歳の少年に成長した私は逞しくなっている。

まだまだ進化して成長を続けるだろう。

 

スウィートグラスのハクウンボクが徐々に咲き始めているが、コテージ・トントゥの庭にある少し小さいアズキナシの花が満開で美しい、雨模様の中、変身してヒューチャー会館となる建物の片付け作業に精を出した。いつもながら労働の後の温泉はありがたい。

 
 
 

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

ここに移住してきたときから我が家にあるハイノキ科のサワフタギという木には、青い実がなる。青い実がなる植物はあまりない。しかも、それはほとんどが草で、木ではサワフタギくらいしかないという。サワフタギの実は瑠璃色と呼ばれる鮮やかな青。瑠璃というのはラビスラズリと呼ばれる鉱物で、アフガニスタンが主な産地。ラビスラズリは古くから、洋の東西を問わず宗教と結びつき、最高位の色として扱われてきた。仏教における瑠璃は、浄瑠璃光世界として浄土を象徴する色となっている。サワフタギの別名は「ルリミノウシコロシ」で、瑠璃色の実はこの木をとても印象深いものにしている。

ルリミノウシコロシの名前の後半部の「ウシコロシ」は、バラ科の植物「カマツカ」の別名。強靭なカマカツの枝で牛の鼻輪を作り、牛を制御したことから、ウシコロシの名がついたが、サワフタギの別名も牛の鼻輪を作ったからという説もあるようだ。

 

また、瑠璃の青は「ウルトラマリン」と呼ばれている。フェルメールの絵画「青ターバンの少女」の青色は、ラビスラズリから作られた絵の具が使用されているが、現在では化学合成したウルトラマリンが使われるそうだ。日本ではラビスラズリは採れないが、サワフタギの実で瑠璃色を愛でることができる。

我が家のサワフタギも今小さな白い可憐な花を咲かせている。秋になるとたくさんの瑠璃色の実を見ることができるだろう。

 
 

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

かおるかぜと書いて薫風(くんぷう)と読む。

若葉がその勢いを増すころ、日に日に濃くなる草木の緑を通して吹いてくる心地よい風のことを「薫風」という。今まさに浅間高原には薫風が吹いている。それは、いわゆる爽やかな風に違いない。

ガーデンアーチに咲くクレマチスに見送られて今日は曇り空の中を出勤した。

スウィートグラスにたくさんの蕾をつけたハクウンボクは、もう花が開きそうなものもある。定年後自由に出歩け、お金も使える身の上でありながら、生きる意味を見失っている高齢者もいる時代に、歴史的な浅間高原で暮らし薫風を感じることができる私は、この世で最も果報者と呼ばれても不思議ではないだろう。カッコーとホトトギスの太い鳴き声にエゾハルゼミの合唱が負けていない。

管理棟のすぐそばに株立ちの大きな木がある。

私の植物先生の一人である同僚に聞くと、アズキナシだという。

バラ科の落葉樹で端整な樹形、花、秋にできる赤い実など鑑賞性が高いため密かに人気があるそうな。10月頃できる実は外見がアズキに似ており、ナシと同じような「石細胞」を持つことからアズキナシと名付けられた。可憐な白い花を咲かせる木をもう一つ発見できた。

 
 

イメージ 1

イメージ 2
イメージ 3
イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

プリンセス・クレメンタイン


2011年私がスウィートグラスに出勤するようになってあまり時が経っていない頃、この会社はいろんな仕事をさせる会社だな、と不思議に思っていた時期があった。
その一つがライラックの植樹だった。その時に手に入れた「植え込み位置図」なるものを、私は今も大切に持っている。キャンプ場を経営する人が何でこんなところへライラックを植えるのか、まだその時は理解できなかったが、ロシアからわざわざ苗を飛行機で持ってきてまで植えられたライラックの種類は160種を超えるもので、根についている土をすべて落して持ち帰らねばならなかった事情や、成田空港で水と養分を持った土を用意して待ち構えていたスタッフが持ち帰った膝の高さほどのライラックを植樹祭と名打って植えるということに私は感動を得た。私が特に忘れられないのは、ラジカセが用意されていて、ドヴォルザークの交響曲をかけながら植えられたということだ。嘘か本当か知らないけれど、ロシアのライラックはドヴォルザークが大好きなのだという。私はどうもこの手の話に弱い。コロッと参ってしまったという思い出がある。
160種類のライラックと言えば世界中で400種と言われているライラックの半数近い数だ。ライラックで街づくりをしている北海道の札幌には規模ではかなわないが、その種類の多さは東洋一だという社長の話に、私の耳はダンボ状態になる。このライラックはしかも元苗なので価値がある。札幌のライラックは接ぎ木という手法で数を増やしているが、ロシアからやってきた元苗のライラックとなればその価値たるや他を圧倒するものに違いないのだ。「植え込み位置図」から私はその数を数えてみた。
何とその数は174である。
ここで働き始めて8年目を迎えているが、社長の考える未来像が少しずつ見えてきた。
私の胸もまだまだ膨らんでくるのである。膝くらいの高さだった苗は、すでに私の背丈を超えたものもある。ライラックの成長に負けていられない気持ちだ。まだまだライラックに負けないほどの成長を夢見ている。
後期高齢者などと言っていられないのだ(笑)



 

↑このページのトップヘ