北軽井沢 虹の街 爽やかな風

「最後は緑豊かな自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻に従う形で移住生活を始めた場所は、活火山浅間山北麓に位置する標高1100mを超える厳寒の地。 北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場で働きながら最後の人生を謳歌している。一人の老人が経験する出来事をそのまま書き記していきたい。

2018年07月

点滴をしたまま手術室まで歩いて行った。
スリッパを履き変えて室内に入り、へんてこな帽子を被り椅子に座って待機する。
手術台というか、大きな椅子に深く座る。
椅子は後ろにいる先生の方に倒れて、いよいよ手術は始まった。
目は太陽の光を直に浴びたように眩しい。
何か液体が何度も目にかけられたような感じがした。二度ほど医師に下を向いて、と言われた。痛くはないが、なんとも変な感じだ。
順調ですよ、もう少し頑張りましょう、という医師の声に励まされた。
まあこんな感じで、時間は10分くらいで手術は終わった。透明の眼帯をしているが、手術した右目がボケて見づらい。明日の朝8時に眼帯を外してくれるので、楽しみだ。

イメージ 1


イメージ 2

イメージ 1


r午前中は、30分おきくらいに何度も目薬をさした。ランチは、トロロ蕎麦、エビとナスと豆のサラダ?、スイカ、牛乳だった。その後医師の検診があり、今から点滴がある。

4人部屋にしたが、どうやら二人らしい。手術は、午後2時くらいからという。
まあゆっくりできそうだ。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 1

イメージ 2

いよいよ明日は入院して白内障の手術を受ける。

白内障とは、水晶体が混濁することで視力の低下をきたす目の病気で、眼球をカメラにたとえると、レンズが濁る状態。日本においては、加齢に伴う発症頻度の上昇が認められていて、70代の80%以上が罹患していると考えられ、誰もが発症する可能性のある目の老化現象と捉えることもできる。現在ではその治療法が確立され、必要とされる場合には手術を受けることで視力の回復を十分期待することができる。

 

白内障の手術は、方法、所要時間、患者の負担など、さまざまな点において飛躍的な進歩を遂げ、現在では短時間の手術でその日のうちに帰宅できるほどになっている。

現在主流となっている超音波乳化吸引術という方法では、数ミリのごく小さな傷口から超音波で砕いた水晶体を取り除き、そのかわりに眼内レンズという人工物を挿入する。

眼内レンズは半永久的に使用できるため、原則的には1回の手術で済む。眼内レンズは、色や素材、つくりに応じてさまざまな種類が存在し、目の状態や術後の生活を考慮して適切なものが選択される。

 

いろいろな人の発言で、不安はないが、いよいよ明日となると、やはり手術というのは気持ちのいいものではなさそうだ。しかし、もう医師に任せてまな板の上の鯛になるしかないだろう。二泊三日の旅は明日の朝始まる。

 
 

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

台風12号は、思いもかけぬ進路を進んだ。東から西へ進み、次は南下するという。昨夜はここでも雨風が強く、おまけに10時過ぎから午前2時頃まで停電した。

現代では電気がなくては何もできない。あっさり降参して寝たが、電気のスイッチを切らないまま寝てしまったので、停電が回復した際、いきなり部屋が明るくなり目が覚めた。

早くから休んでいた家人は、何も知らないという幸せな生活だ。

2011年に起こったあの東北の大惨事依頼、毎年のように大雨や地震などの災害が起きている。幸い自分が生活している場所ではそういうことがないが、いつ何が起こるかわからない、最近の自然災害は恐ろしい。

そんなとき、北軽井沢スウィートグラスは別世界のような光景が見られる。少々の雨風を恐れぬキャンパーたちでにぎわっているが、宿泊施設ならともかくテントはこの豪雨の中危険だと思わないのだろうか?なんとも度胸のある人の多いことよ。

しかし、無事事故もなく過ぎ去った台風一過。今日は照ったり降ったりとおかしな天候だった。

我が家の周りはたくさんの木の枝や木の葉が散乱していたが、スウィートグラスもおなじようにたくさんの枝や葉が散乱していた。7月も終わりいよいよ8月である。

穏やかな夏休みになるよう祈るばかりである。

 

↑このページのトップヘ