北軽井沢 虹の街 爽やかな風

「最後は緑豊かな自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻に従う形で移住生活を始めた場所は、活火山浅間山北麓に位置する標高1100mを超える厳寒の地。 北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場で働きながら最後の人生を謳歌している。一人の老人が経験する出来事をそのまま書き記していきたい。

2019年04月

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やはり今日のタイトルはすんなりとこれしかないだろう。

私は昭和の時代を46年、平成の時代を30年生きたことになる。

ひと昔なら長生きに違いないが、今ではまだまだ若いといわれている(笑)

移住生活という選択をして、生まれて初めてと言えることにたくさん出会った。

スキーレンタルショップで働き、農業の経験もして野菜直売場で野菜おじさんもやった。

現在はスウィートグラスという日本一のキャンプ場で働いているが、新たにガイドという仕事も舞い込んできた。いつまで生きていられるかわからないが、今のところ健康には何の問題もない。明日即位される令和の天皇も59歳。しばらくすると高齢者になられる。

令和という新しい時代を迎えることになるが、何か新鮮で新しい力が体の中からむくむくとわいてくるような気がする。このままもう少し平穏なときが過ごせればいい。

明日は令和となる。なんだか不思議な気持ちだ。

 

平成最後の日は、奇しくも雨となった。これは涙雨か?

平成時代を振り返る天皇皇后両陛下のテレビ画面を見ながら何故か涙がこみ上げてきた。

雨のスウィートグラスで過ごす超満員のキャンパーたちは、テントの中で何を考えているのだろう?

 
 

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先日フリーペーパー「きたかる」のVOL10を手に入れた。2010年から発行されていて10冊目だから、おおむね1年に一回発行されているのだろう。

「きたかる」にかかわっている人たちを知っていることもあるが、この地域の様々な情報を見ることができ、いつも楽しみにしている。この度は同僚Y嬢のお父さんが写真入りで登場していた。地域の活性と発展のために尽力された人柄がにじみ出ているいい写真に家人と二人でしばし見入っていた。

 

このたびの「きたかる」のトップ記事は、特集・早春浅間紀行「はじまりの森へ」。

浅間園を出発して浅間山に踏み込んだ写真と文章に感動した。

文章の中に出てくるカメラマンMは、すぐに誰だか私にはわかったが、この文章の主人公である「私」はいったい誰なのか?この文章に出てくる写真は、これほどに見事に撮れるものかと唸ってしまうほどに素晴らしいが、浅間山の噴火の歴史から、植生遷移を見事に説明した文章にも恐れ入った。この記事の写真は2月に撮ったらしいが、私はもっと気候のいい時期にぜひ行ってみたいと思った。




 

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昨日は冬に逆戻りの寒さだったが、今日は天気も良く朝のマイナス3℃から気温もぐんぐん上がって暖かい一日となった。スウィートグラスの来訪者はついに171組となり、もうこれ以上の収容はできない。

コブシ咲く春に雪化粧の浅間山はひときわ美しい。

たくさんの家族連れが歓声を上げる中、私は今年初のキャンプファイヤーを準備した。

昨日は石拾いをしている私についてきて、一緒に石ころをバケツに投げ入れてくれた幼い姉弟がいたが、今日はキャンプファイヤーを手伝おうとする子供たちに困らされることになった。目の前に浅間山が見える多目的広場は、子供たちであふれている。

テントの花が満開となったスウィートグラス、10連休中は様々なテントの色で飾られることになる。そんな満開を見ながらひと汗かく幸せもある。

 
 

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朝の気温は3℃とそんなに低くはないが、体感温度はマイナス2℃くらい。

曇り空で風が強い。手袋なしではいられないほどの寒さだった。

そして、時折雪が舞うのでなおさら寒く感じる。

そんな寒い日に10連休は始まった。スウィートグラスには160組の来場者が次々とやってきて、テントサイトはあっという間にテントの花が咲いた。

もちろん、宿泊施設は満杯だ。「寒い寒い」を連発する人々が多い中、天気予報をチェックしていたから予想の範囲と、けろりとした人も少なからずいた。

私は、わかってはいたがここまで寒いとは予想していなかったので、春のスタイルで出勤した。風邪が冷たく、私は最後まで「寒い」を口にしていたようだ(笑)

咲いたばかりのコブシの花も震え上がったに違いない。

 
 

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「溶岩樹型の保護作業がありますので、参加できる方はお願いします」という話があった。浅間北麓ジオガイドの会の会長に行くことを伝えてあったので、今朝からそのつもりでいたが、生憎の雨が降り始めた。「雨でも決行ですか?」と電話をすると、「総会を兼ねているので一応皆さんに出席してもらっています」というではないか?総会?・・・

ピント来なかったが、急いで車を走らせた。現地にある小さなハウスには人が集まっていて私の到着を待っている様子だった。すぐに資料を渡され総会は始まった。

「浅間山溶岩樹型保護員会」という会があってガイドの会会長がこの会も会長をしていることが初めて分かった。私は即会員となり総会後の作業に参加した。

カッパを着て雨中の作業となったが、初めての参加なので要領がわからない。とりあえず熊手を持って落ち葉かきを実施した。落ち葉かきならもうプロだと、自分に言い聞かせながら口元は緩む。

 

溶岩樹型は天明3年(1783年)の浅間山大噴火による火砕流が樹林の中を流下するとき、幹のまわりを囲むようにして流れたため、樹林の多くは垂直のままその中に取り込まれ、一部の樹木は焼けて木炭となり、また一部は空洞となって深い井戸のような穴として残ったものだ。溶岩樹型は古井戸のように開いた縦穴の形状のため、落ち葉や土砂が侵入しやすく、定期的な除去作業が必要となる。また、風倒木の除去や周囲の清掃も行い、浅間山溶岩樹型区域の自然保護にもつながっている。

 

現在157の溶岩樹型の保護を行っているが、調査でまだその上の地域に1083もの溶岩樹型が見つかっているという。大森林であった場所に稀にみる火砕流の流れ方によって出来上がった溶岩樹型は、火山の噴火の様式や火砕流の流れ方を知るうえで重要だ。

昭和15年8月に国の天然記念物に指定されたが、その後昭和27年3月に特別天然記念物に指定されている。火山国である日本を代表する自然現象として長く保存されなければならない。

初めてのボランティア作業は雨だったが、特別天然記念物の保護作業は胸がワクワクする作業だ。溶岩樹型は何も知らずにのぞいてみるとただの穴。しかしその中にヒカリゴケが輝いている場所もある。溶岩樹型の成り立ちを説明することはとても意義深いに違いない。かくして私のガイドの場所は、吾妻渓谷&八ッ場ダム、浅間牧場、溶岩樹型と3か所になった。






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