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野菜直販店を開店し53日目となった今日は、朝から雨が本降りとなった。
不思議なことだが53日間、朝から雨という日は一日もなかったのだ、ということを改めて知った。いろいろと思案していると電話が鳴り、今日は思いがけない休日となった。もともと今日は週に一度の買い物日で、荷物の運搬だけの仕事だったが、雨の中どのような方法で商品を降ろすか、最後の撤収はどうするかと悩んでいたが、休日となればそんな悩みも吹っ飛んでしまう。
すでに熱帯低気圧となった台風にお礼を言いたいような思いがけない休息日、買い物を済ませた午後、温泉に入りゆっくりと体のケアが出来た。
 
もともとは自給○○円のアルバイトのつもりだったこの野菜の店だが、開店し営業が始まると、どうやったらより多く売れるか、どのように客と接するか、などと営業マン精神がむくむくと頭を持ち上げてくる。そしてどんどんとのめり込んでいく自分を感じるようになっていく。
75日間休みなし、ということは最初から分かっていたし、そんなことは全然問題にしていなかった。昭和30年代後半から40年代にかけて、日本全国働く人々には休日はなかった。月に二度日曜日の休みがあったが、その他の日は残業残業の連続で、今から考えると本当によく働いたと感心せざるを得ない。
 
小さいながらも事業をしていると、日曜祭日など関係なく盆と正月以外は休みなどは考えられないというのが普通だと思っていたので、75日無休には何の抵抗もなかった。早朝5時に起床、清々しい朝の空気を吸って素晴らしい景色のなかを走る軽トラックで見る景色は素晴らしく、毎朝が感動の連続だった。
しかし、どんどんと仕事にのめり込んで行くにつれ、最近になってその景色に変化が生じている。目が悪くなったわけではないがその景色が見えなくなってきていることに気がついた。
 
「そうか!」・・・・「そういうことだったのか!」・・・・・65年間という決して短くない期間を広島で過ごしたが、広島周辺にも素晴らしい場所はある。そして美しい景色もたくさんあった。盲目でないかぎりその景色は見えていたに違いないのだが、この地に移り住んだとき、初めて自然の美しさに感動した。それは「見える」と同時に「感じた」からにほかならない。
安芸の宮島で見た紅葉谷の紅葉は、今もう一度見てみたい景色の一つだが、残念ながらその時に見た美しさは空しいものだった、ということが今わかった。
 
「見える」とは「感じる」ことだということが今はっきりとわかった。
同じ景色を見ていても心そこにあらずでは、その景色は見えていない。頭の中に「仕事」が入っていては見えていても感じることができない。人は笑いながら怒ることが出来ないように、他のことを考えながら美しい景色に感動することができないと言うことに気づいた。そのことがはっきりとこの度の経験でわかったとき、改めてこの地を終の棲家と定めたことが、自分の人生にとってどれだけ大きな出来事だったのかを知ることになる。
 
野菜直売店の仕事も残り22日。道行く人々や旅行中の人々との交流の中で、新しい発見があり、様々な人間関係を経験した。
「おじさん、今日帰ります。いろいろとありがとう」と行って避暑地を後にする人々が増えている。今日も一人、そしてまた一人、店の前を通る人はどんどん減っている。「おじさん、いくら?」と値段を聞く客に「あと300円で100円」などと冗談を言いながら300円余分に買ってくれた客は少しずつ姿を消していく。「秋風が吹く」とは、昔の人は表現がうまい。
いずれにしても、この年齢で経験できたこの仕事は多くの宝物を残してくれた。
何もしなくても75日は過ぎる。時間は誰にも止めることは出来ない。
その「時」を大切にすることを別の観点から学ぶこと出来たことは大きい。
 
思いがけなくできた休日にブログを更新しながら思う。
75日が終わったら「よくやった!」と自分を誉めてやろう。
そして、ひょっとしたら、森の中で涙するかもしれないと・・・・。