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「これで青春時代も終わりだな」
20代から30代に変わる日、やはりなにがしかの感慨を覚えた。結婚を目前にしていたので余計に気ままな時代の終焉を感じたのかもしれない。
しかし実際に30代になってみると、これがわるいものじゃなかった。体力的にも20代と変わらないし、仕事の面でも20代の手さぐり状態からはっきりと手ごたえのあるものへと変わった。
時移り星流れ30代から40代へ移るときには、
「ああ、いよいよ老化の第一歩」
と、おおいに嘆いたが、これも現実に40代になってみると抜群によろしい。体力は少し衰えたが、人間や世間がよく見えるようになった。人生の手ざわりみたいなものが少しずつわかるようになった。このぶんならきっと40代から50代に変わっても、さらによくなるのではあるまいか。私はそう思っているのだが、50代の友人は、
「そこのところは今までのようにいかんぞ」
と、笑っている。
体力の衰えはしかたあるまいが、脳味噌さえ健在なら50代だって充分に使いでがあるだろう。自己暗示をかけても私はそう信じたい。「20代で美しくなく、30代で勇敢でなく、40代で勤勉でなく、50代で賢くなく、60代で豊でない人間は、一生美くしくもなく勇敢でもなく勤勉でもなく賢くもなく豊でもない」とか。
20代に美しかったかどうかはともかく、私の30代はそれなりに勇敢だったし、40代はいやでも勤勉にさせられている。50代はぜひとも脳味噌の熟する時にしなくてはなるまい。
阿刀田高著 「頭は帽子のためじゃない」より
 
これは、阿刀田高が40代のころの文章だが、時移り星流れ(実にいい表現だ)、生まれ年から計算すると彼は現在77歳になっているはずだ。
私の場合も40代まではおおむね彼と同じであったと思うが、私は20代の頃は早く30になりたいと思い、30になると早く40になりたいと思ったものだ。それは「若い」と言われることが「未熟である」と言われていると感じていたからにほかならないが、50代が脳味噌の熟する時になったかと言えば、仕事・仕事・仕事に追いまくられ決して脳味噌の熟すときにはならなかったと感じている。50代のころ考えていたのは、なんとか60歳でリタイヤしたいということだった。そして5年遅れのリタイヤ生活を移住という形で暮らし始めているが、まだ早く70歳になりたいという自分がいる。それは、70歳という響きがなんだか崇高で威厳のあるような、人間としてここまでこられたという自信やら誇りのようなものを感じるからであるが、70歳になると、もう早く80になりたいとは思わないだろう。もう少し時がゆっくりと流れて欲しいと思うに違いない。
 
今朝の気温は7℃。気温はいっきに秋深しを思わせる。一昨日の夜、60代の私は、腰に激痛を感じ、一晩中唸ってもがき、昨日は仕事を休み終日床に伏せっていた。今日になってやっと薬局へ行き、湿布剤を買うことができ、なんとかパソコンの前に座れるようになった。やはり体力の衰えを感じる今日この頃であるが、妻はせっせと森の中を歩き回り、キノコ(ハナイグチ、ヤナギタケ)や、栗、栃の実などを採ってきている。今年のキノコはセシウムが多く含まれており、味も上々である。そして、明日あたり、我が家は栗ご飯になると予想している。