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21世紀初頭の世界は、異なる集団を結び付けるばかりか、それよりもはるか先まで行っている。世界中の人々が、互いに連絡を取り合うだけでなく、同一の信念や慣行をしだいに共有するようになっている。1000年前、地球は何十もの政治モデルを育む肥沃な土壌を提供していた。ヨーロッパでは、小規模な封建国家が、独立した都市国家や小さな神政国家と競い合っていた。イスラム世界は全世界の支配権を主張するカリフの統治下にあったが、王やスルタンや首長が支配する国の存立も試していた。中国の歴代帝国は、自分たちこそが唯一の正当な政治的実態だと信じており、その一方で、帝国北方と西方のさまざまな部族連合は嬉々として相争っていた。インドと東南アジアでは多くの政権がめまぐるしく変化し、アメリカとアフリカとオーストラリアでは小さな狩猟採集民の生活集団から広大な帝国まで、多様な政治組織体が見られた。隣接する人間集団でさえ、国際法はもとより、共通の外交手続きに関してさえ、なかなか合意できなかったのも無理はない。それぞれの社会が独自の政治パラダイムを持っており、よそ者の政治概念を理解し、尊重するのは困難だった。

それに対して今日、単一の政治パラダイムがどこでも受け容れられている。地球はおよそ200の主権国家に分かれているが、どの国も同じ外交儀礼と共通の国際法をおおむね認めている。スウエーデン、ナイジェリア、タイ、ブラジルはみな、鮮やかに着色されて同じように地図帳に記載されており、みな国連の加盟国で、無数の違いがあるにもかかわらず、同じような権利と特典を享受する主権国家として認知されている。実際、これら四か国は他にも、代議政体や政党、普通選挙、人権を少なくとも名目上は認めていることを含め、多くの政治的な考え方や慣行を共有している。ロンドンやパリばかりではなくテヘランやモスクワ、ケープタウン、ニューデリーにも議会がある。グローバルな世論の支持を求めてイスラエル人とパレスティナ人、ロシア人とウクライナ人、クルド人とトルコ人が競うときには、彼らははみな、人権と主体国家と国際法という同じ言葉で語る。

世界にはさまざまな種類の「機能不全国家」が散在しているかもしれないが、国家としてうまく機能するためのパラダイムは一つしかない。このようにグローバルな政治は、「アンナ・カレーニナの原則」に従っている。すなわち、機能している国家は互いにみなよく似ているが、機能不全の国家のそれぞれが、主要な政治パッケージの要素のどれかを欠いているために、独自の形で機能していないのだ。イスラミックステートは、このパッケージを完全に拒絶し、世界イスラム帝国という、まったく異なる政治的実体を確立しようとして、ひときわ目を惹いている。だが、まさにその目標のせいで失敗した。数えきれないほど多くのゲリラ部隊やテロ組織が、首尾よく新しい国を創設したり既存の国を征服したりしてきた。だが彼らはきまって、グローバルな政治秩序の根本原理を受け容れることでそれを成し遂げた。

タリバンでさえ、アフガニスタンという主権国家の正当な政府として国際的に認めてもらおうとした。グローバルな政治の原理を拒絶する集団が、それなりの広さの領土を継続的に支配できたことはこれまで一度もない。グローバルな政治パラダイムの強みは、戦争と外交にまつわる政治の中核的な問題ではなく、2016年のリオデジャネイロオリンピックのようなものについて考えると、いちばん正しく認識できるかもしれない。このオリンピックがどう組織されたか、しばらく時間をかけてじっくり考えてほしい。1万1000人の選手が、宗教や階級や言語ではなく、国籍によってグループ分けされていた。仏教徒の選手団も、無産階級の選手団も、英語を話す人の選手団もなかった。一握りのケース(台湾とパレスチナがその典型)を除けば、選手の国籍を判断するのはわけもなかった。

2016年8月5日の開会式では、選手たちは国ごとに分かれ、国旗を振りながら行進した。マイケル・フェルプスが金メダルを獲得するたびに、アメリカの国歌が演奏されるなか、星条旗が掲げられた。エミリ・アンデオルが柔道で金メダルを勝ち取ると、フランスの三色旗が掲揚され、「ラ・マルセイエーズ」が流れた。

なんと好都合なことだろうか、世界のどの国も同じ普遍的なモデルに則った国家を持っている。ほとんどすべての国歌が、世襲制の聖職者の特別なカーストによってだけ歌われる。

25分もかかる詠唱かではなく、オーケストラで演奏できる数分の曲だ。サウジアラビアやパキスタンやコンゴのような国でさえ、自国の国歌には西洋音楽の約束事を採用している。

そのほとんどは、ベートーヴェンがかなり調子の悪い日に作曲したかのように聞こえる(友人たちといっしょにYouTubedeでさまざまな国歌を聞き、どれがどの国のものかを当てて、夜の楽しいひとときを過ごすことができる)歌詞までもが世界中でほぼ同じで、政治の概念と集団への忠誠の概念が万国共通であることがうかがわれる。たとえば、あなたは次の国歌がどの国のものだと思うだろうか(国名だけを、どの国にも当てはまる「我が国」に変えてある。

 

我が国、我が祖国

私が自分の血を流した国土

そこに私は立つ

母国の護衛者となるために。

我が国、我が国民

我が民族、我が祖国ブラジル

宣言しよう

「我が国を一つに!」

我が国土よ、万歳、我国家よ、万歳

我が国民よ、我が祖国よ、永遠に。

その魂を築き、その肉体を目覚めさせよ

偉大なる我が国のために!

独立して自由な偉大なる我が国

愛する我が故郷と我が国。

独立して自由なる偉大な我が国よ

偉大なる我が国よ、万歳!

 

答えはインドネシアだ。だが、答えはじつはポーランド、あるいはナイジェリア、あるいはブラジルだと言われていても、あなたは驚かなかったのではあいか?

国旗もやるせないほどの類似性を見せている。たった一つの例外を除いて、すべての国旗は極端に限られた種類の色と縞と幾何学的な形を特徴とする長方形の布だ。

唯一、枠にはまっていないのはネパールで、三角形を上下に二つ重ねた形になっている(ただし、オリンピックでメダルを獲得したことは一度もない)

インドネシアの国旗は、上半分が赤、下半分が白だ。ポーランドの国旗は、上半分が白で、下半分が赤だ。モナコの国旗は、インドネシアの国旗とまったく同じデザインになっている。色覚異常の人は、ベルギー、チャド、コートジヴォワール、フランス、ギニア、アイルランド、イタリア、マリー、ルーマニアの国旗の区別がほとんどつかないだろう。色こそさまざまだが、どれも縦縞三本でできているからだ。(明日につづく)

 

ユヴァル・ノア・ハラリ著「21Lessons」136ページ「中世のオリンピック」より