


「最後は緑豊かな自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻に従う形で移住生活を始めた場所は、活火山浅間山北麓に位置する標高1100mを超える厳寒の地。 北軽井沢スウィートグラスというキャンプ場で働きながら最後の人生を謳歌している。一人の老人が経験する出来事をそのまま書き記していきたい。
今日は週一の買い物日。この日のために家人は連日悪戦苦闘しているらしい(笑)
予報は雨だったが出かけるときはまだ降っていなかった。曇り空、今にも降りそうな天気の中、やたらとパトカーや白バイが多い。中軽井沢の信号あたりにはたくさんの警官がいる。私はすぐにピンときた。今日は静養先の草津から上皇様が帰られる日だった。
いつも通られる道はわかっていた。帰路、たぶん11時頃に違いないと思い、車を走らせる。いつも立ち寄る郵便局をパスしていつもよりアクセルを強く踏み急いだ。
もしかすると、峰の茶屋から有料道路には入れないかもしれない。その時は峰の茶屋で待つしかない。しかし、有料道路は閉鎖されていなかった。料金所では6台くらいの白バイが待機していたが普通に通過できた。料金所のオジサンに聞くと六里ヶ原でお迎えできるという。もうすでに前方から来る車はいない。急いで六里ヶ原の駐車場に滑り込んだ。
間一髪、あと5分で来られるという。奇跡のような遭遇であった。
日の丸を受け取って最前列に出る。8年前草津で野菜売りをしたときは、黒塗りのセダンだったと記憶しているが、今日はマイクロバスの中央付近の窓を開けて皇后様はにこやかに手を振られた。その後ろには立ったまま手を振っていらっしゃる上皇様の姿があった。
マイクロバスはスピードを落としてゆっくりと走り去っていった。
一瞬の出来事だったが、爺はなぜか熱くこみ上げるものがあった。
上皇様は私と10歳違い。もしも一人なら両手をあげて万歳をしていただろう(笑)
家に帰り着く寸前にいきなり強い雨が降り始めた。何もかもラッキーな一日だった。
来月7日になると私は満76歳になるが、気が早い私は、早く80歳になりたいなどと思っているふしがある。そんなに急がなくても生きていればその時は来る。
私の父は81歳まで生きた。実は、私が父を超えることができるのは生きた年数だけだと思っているから、ということもあるのだ。
人間は不思議な生き物で、一人ひとり微妙に違っていて、元気な人もいれば病気がちな人もいる。同じ元気も、病気も人それぞれだが、70歳を超えるとその差が大きくなる。
遺伝のことも考えられるが、それぞれの日常生活が大きくかかわっていることは否めない。同じ年齢でも、すでに杖を突いてよたよた歩いている人もいれば、未だに30代の肺活量を持ち、ハモニカの練習に励んでいる人もいる。
私はといえば、元気で毎日まだ働いている。そしてどうやらこの歳なのに元気だということを自慢にしているふしがあり、そろそろそのボロも出始めてきたというのにそれを否定することに満足していた。しかし、物事は単純に考えるほうがいい。歳をとったらやはりそれらしいほうがいいに決まっている。何事も年相応に振舞うほうが気楽でもあり人生を楽に生きていける。だが、楽をすると老いのスピードが増すような気がしてならない。
爺の考えは揺れ動いてやまないのである。
今日は家で自室の整理などをしながら、ぷらぷらと過ごした。
気が付けば今日は写真を一枚も撮っていない。こういう日もある。
今日は何を考えていたのか、iPhoneを忘れて出かけた。
気付いたのはもうスウィートグラスの駐車場だった。現役時代だったら、もう何をさておいても取りに帰るところだが、誰からも電話などかかってこない現在では、ただ写真が撮れないくらいのことだ。考えてみれば呑気な生活に違いない。
私は週5日働いているが、先週から一日だけ午後2時まで勤務となっている。
今日はその2時まで勤務の日。職場で昼食を済ませて温泉へ行くことにしていた。
食事が済むと同僚のタケさんにソフトクリームを誘われた。
元気な長寿の高齢者が好むおやつの人気ナンバーワンがソフトクリームだと知ったからではないが、ソフトクリームは午後からのスタミナ源。
そこにやって来た大学生のアルバイトのリクエストでスリーショット!
iPhoneを忘れてしまったが彼女とはラインで結ばれていて、映像はすぐに手に入る。
こういう時は便利がいい。まったく、呑気な生活だ。